インヴァネスから東へ走る。
雨上がりのみずみずしい緑輝く田園風景の中、蒸留所が集中するエリアへ向かう。スペイ川の水が太陽に照らされてウイスキー色に見えた。シングル・モルト・ウイスキー蒸留所への訪問はまた別に書くことにしよう。
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午後は通称「運命の石」が置かれていたスクーンへ至る。
「運命の石」とは西暦843年の初代スコットランド王ケニス・マカルピン以来、スコットランド王として戴冠する時その上に座るべしとされる石である。
この石は13世紀にスコットランドへの鉄槌と呼ばれた英国王エドワード一世によりロンドンに持ち去られ、20世紀に至るまでウェストミンスター聖堂に置かれていた。
私が始めてロンドンへ来た頃にも戴冠の椅子にはめこまれていたこの石を見たことがある。この椅子の上で戴冠すれば、一回の戴冠式で英国とスコットランド両国の王を兼ねることが出来たわけだ。現エリザベス二世女王も1953年にこの上で両国の女王となった。
この由緒ある石がもともと置かれていた場所に建つのがスクーン城。バスが門から入りしばらくすると、広大な敷地にかこまれた城が見えてくる。
現在見られるのは18世紀終わりからの城でマンスフィールド伯爵が所有している。現代の見学ではこのファミリーについての歴史を説明される。彼らマレー家がスコットランド貴族である事を誇りにしている様子は、案内冊子の目立つところに登場する伯爵がキルトを着用していることからも分かる。18世紀はじめのジャコバイトの乱の時にも独立派を援護してきた事を、説明書でもしっかり言及してある。実際はイングランドのハノーバー王朝下のロンドンで出世したマレー家のひとりがマンスフィールド伯爵として叙任されているので、イングランドからも重用されていたようだけれど。
時代は変わる。
EUはどんどん統合してゆくが、それぞれの地域は自己主張を強めていく。スコットランドはひとつの王国として石の返還を求め、1997年ついに「運命の石」はエジンバラ城に置かれることになった。
「なぜ、元のスクーン城じゃないんだ?」スクーン城主マンスフィールド伯はかなりくやしかったのではないだろうか。
しかし、ここにひとつの伝説がある。13世紀にエドワード一世がロンドンに強奪していったのは偽の「運命の石」だった、というのである。イングランド軍が持ち去りそうになった時、急いで適当に切り出したものを身代わりにしたのか?
そう思って見ると確かにこの石はとてもつまらない形をしている。
本物の「運命の石」は今もスクーン城に密に隠されている?
だからこそロバート・ブルース(※映画「ブレイブ・ハート」に登場)をはじめ、後のチャールズ二世に至るまでスコットランド王はここを戴冠の場所に選んだのではないか。有得る話だ。
さて、次のスコットランド王の戴冠式はいつになるのだろう。
今年60歳を迎えたチャールズ皇太子が来るべき日に戴冠式を行うに違いない。
イングランド王としてはロンドンのウェストミンスターにおいて戴冠するだろうが、さて、スコットランド王としてはどうなるのか? スコットランド人からは「『運命の石』の上で冠をいただくべし!」という声は当然上がるだろう。
真実は、きっとその時明かされる。
「七百年待ち続けた日がやっときました!実は『運命の石』の本物は当家がスクーン城に七百年間保管していたのです。」
なんぞと言ってマンスフィールド伯が本物を持ち出してくれたりすると面白いのだが。
想像する。その石はきっとケルトの文様が見事に彫刻され、いかにも王の戴冠する場にふさわしい美しさを持っているに違いない。…そう、エジンバラ城にある石も、ここにあるそっくりにつくられたスクーン城の石も、あまりにも「大したことない形」なのでそんなふうに考えたくなるのだ。