ここは広大な都市まるごとが埋まっている場所である。
神殿や城壁、城門の遺構がたくさん復元されているが、まだまだ埋まっているものの方が多いに違いない。
ここの見学に車は不可欠。
視界いっぱいに広がった岩だらけの谷。そこここに神殿や城砦の跡が見える。バスでよく分かったガイドさんとまわれることがありがたい。個人旅行だここまで来ることにかなり苦労して、どこが何の遺構なのか理解する余裕などなくなってしまう。
ボアズキョイまたはボアズカレ、これが現代ある村の名前。
ハットゥッシャまたはハットッゥシャシュが紀元前1300年ごろまでこの地に栄えた都市の名前。
ヒッタイトとは、それ以前にあったハッティ(ヒッティ)族の名前からそう名づけられた。人類史上初めて鉄を使った民族という事になっている。最近の研究では鋼鉄までも製造していたと考える学者もある。
※今回出発前に「アナトリア発掘紀〜カマン・カレホユック遺跡の二十年」大村幸弘著NHKBooksを読んでいったのでより面白く感じられた。
復元されているものの中でこのライオンの門はひとつのハイライトといえるだろう。三千三百年を経てもまだ咆哮を続けるライオンの雰囲気を充分つたえてくれる。