トルコの北東部、トラブゾンの町は黒海に面している。海の向こうはウクライナ、このまま沿岸沿いに走れば半日でグルジア国境だ。
トラブゾンの解説は日本語のガイドブックにはほとんど載せられていない。郊外にあるスメラ修道院とトレビゾンド王国時代のアヤソフィアについて書いてある程度。
英語のサイトをさぐっていっても尚観光に使える資料は乏しい。
乏しい中から見所を狙い定めて見学できる用にアレンジしていく。
この日もトラブゾンの資料の中で〔Kizlara近くPanaghia Theoskepastosの地下にはミトラ教の神殿が地下聖堂になって残っている〕という記述があり、コースに加えてみようと考えた。
※ミトラ教とは、ペルシャ伝来の宗教で古代ローマ世界ではギリシャの神々と共に崇拝された宗教である。ローマ市内にもその神殿だった場所はたくさん見られる。ウィーンのど真ん中にも元はミトラの神殿だったとされるクリプト跡が残されていた。
バスは市内を見下ろすポズテペの丘を登っていく。ここまでの道を選ぶにも地元の人々に尋ねながらの手探りであった。道はバスが上っていくにはあまり適さないが、眼下に晴れた黒海が見え隠れするようになると、ここを選んでよかったと思う。
途中大きなモスク前の広場で視界が開けた。そこに「KIZRAL MONASTIRI」と書かれた看板が見え、バスを止める。ここから下る路地の先に目的の修道院があるらしい。
急な坂の向こうには青い黒海が輝いている。天気のよい今日は、民家の屋上では絨毯が干されている。日陰ではスカーフをかぶった奥さん達が豆の皮をむきながら座ってお話。子供達がゴムのボールでサッカーをしている。そんな路地に闖入してきたアジア人を物珍しそうに見る。
「メルハバ(こんにちわ)」と声をかけると、はにかみながらも絵笑顔を返してくれる。
「フォト!」突然大学生風の女の子達が携帯電話で写真を撮ろうと言ってくる。どこの国もこういうところは変らない(笑)。サッカー少年達も入ってみんなで記念写真におさまった。
昭和30年代にタイムスリップしたかのような、黒海を見下ろす昼下がりの路地裏をしばらく降りていく。すると、さいわい目的の修道院跡があった。階段を数段上ったところに入り口が見える。右側に続いていた壁が実はその建物だった事がわかる。予想以上に大きな規模だ。
入り口を入ると右手に再び階段があり、そのむこうに古代の雰囲気を感じさせるアーチが見えた。建物は廃墟になっていて誰もいない。修復が始められているのだろうが、今は何にも使われていない風だ。
階段を上がろうとすると「ここまでだよ」と声がかかる。
入り口の門番小屋にひとりでいた男が松葉杖をつきながら出てきて我々を止めた。
見るからに傷痍軍人風。戦場で負傷して、この誰もやってこない場所を管理する仕事を与えられいるのだろうか。あまり楽しくなさそうな表情で「写真はダメ」と言った。
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ミトラ教の神殿は見ることが出来なかった。
しかし、こういったプロセスこそが《手造》の妙味。
バスでは近づけなかったり、行ってみたら修復していたり、一般公開していなかったり、思ったよりもぜんぜんつまらない代物だったりすることも実際ある。そう、当たる時も当たらぬ時もあるのが実情。
元来、旅というのはすべて行く前から予定されたをなぞるパッケージツアーの様ではなかった筈。プロセスを含め、旅のすべてを楽しんで下さる参加メンバーに感謝しております。