ブルージュのクラウン・プラザホテルを建設する時、かつてそこにあった聖堂の遺構が発見された。ホテルが完成した今も地下に降りていくとその遺跡を上手に取り込んだバンケット・ルームがならんでいて、発掘時に発見されたいろいろな物が展示されている。
そこにあった教会とは、いったいどんなものだったのか?
それを視覚的に見せてくれた図画がこれだ。それは思っていたよりもかなり大きく、クラウンプラザホテルのある敷地はそのアプスの部分に一部入っているだけである事が分かる。
教会の本体、いちばんメインの身廊の部分は、ホテルを出た目の前にある広場そのものだった。
そう理解してからホテルを出ると、今までもあったのに目に入っていなかった看板に気がついた。そこにはフラマン語、フランス語、ドイツ語、英語でこのように書かれていた。
「1127年、シャルル善伯(フランドル伯)がこの場所において殺された。それは、彼が貧者の側にたったからである。」
今は屋外になっている場所だが、12世紀そこはこの図画の教会の中であり、シャルル善伯は祈りの最中に教会で刺客により暗殺されてしまったのだった。
今まで何度となく訪れていたブルージュのブルグ広場。まだ知らない興味深い事がまだまだ、まだまだたくさん隠れているようだ。
見た、行った、写真を撮ったという事と、そこを知っているというというのはまったく別のことである。回数だけはたくさん行くだけに、その事を痛切に感じる。