午前中、日本人グループでいっぱいのブルージュの町を観光し、午後は近郊のダム村へ。
ダム村はブルージュからたった7キロしか離れていないが、ここへくると日本のグループはぱったり見かけなくなる。ほんとうは「いなくなる」だろうと思っていたのだが、最近はここがコースに入っているツアーもあるようになって、今回我々のほかにも二つの日本人グループを見かけた。
荒れる北海から内陸に入った安全な場所にあるダム港は、12世紀にフランドル伯爵により都市権を与えられた。ブルージュと運河で結ばれ、北海からボルドー産のワインや北欧のニシンが運び込まれる町であった。今でも「ニシン広場」などの名前が残っている。
その後都市ハンザの時代にブルージュの繁栄と共に大きくなっていき、ブルゴーニュ公国の時代1468年には、遠くヨークから姫を迎えた君主シャルルの結婚パーティが行われた。その宴会場になった家は今も残されている。増えた住民が入れるように、この巨大な教会は13世紀から15世紀頃にかけて大きくなっていった。
しかし、時代が移り変わりブルージュの繁栄はアントワープやアムステルダムにとってかわられる。18世紀はじめにはこの教会の屋根が落ちたが、もはやそれを完全に修復する経済力はなくなっていた。
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上記のストーリーは、始めてこの町にきた(たしか)8年前に、町のインフォメーションセンターで手に入れた簡単な英語の解説による。紙一枚の資料でも、大事に管理しておけばちゃんと役に立つ時がくるのだ。
ううん、これからもますます資料が捨てられなくなっていく(笑)。