サンフランシスコからのユナイテッド航空機内にて、この映画を二回続けてみた。
最初は日本語の吹き替えで、二回目は分からないなりに英語のオリジナルで。
舞台は1935年のアメリカ、テキサス。
http://www.blackmovie-jp.com/movie/greatdebaters.php日本未公開らしい。
日本ではこういう政治的時代背景が重要な映画というのは、なかなかウケナイ。カッコいいスターを見るために映画を見るという観客が主体だということなのだろうか。
いや、この映画の中のデンゼル・ワシントンも間違いなくかっこいいのですが。
また、デンゼル・ワシントンの監督した映画でもあった。
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この映画の時代、1935年を同じく舞台とする映画が最近もうひとつある。アカデミー賞受賞の「つぐない」。これはイギリスの上流階級が舞台になっている。
大西洋をはさんで、人種や階級の違う人々がまったく違う世界を生きていた。通信手段も輸送手段も、現代とは比較にならない時代。きちんと別の世界が分かれて、秩序だって存在できたのだ。
2008年のテキサスとイギリスには、1935年にあったような別世界感は失われていっているのではないか。現代はあまりにグローバルに世界が混ざろうとしている。二本の映画を見ることそんな風に感じる。
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視点はもっとたくさんあった。
●1960年代の公民権運動のひとつの核「CORE」という団体のリーダー、ジェームス・ファーマーのバックグランドにこういう体験があるという実感。
●ディベィエート(対論)という形式が、アメリカの教育の中で占める重要な位置。
実際の自分の意見がどうであれ、命題に対して与えられた立場の論理を構築し、人を説得する弁論を行う。こういった方法論の学習が、日本に一番欠けているのではないだろうか。