「たぐいなや あらいそなみによるよると
ひかりをさして うかむぼさつわ」
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安政六年(1859年)焼津の漁師天野甚助は、この板切れにつかまり嵐の海を二日二晩漂流した。小泉八雲の「漂流」という作品にはこの出来事が描かれている。
仲間をすべて失い食べ物も水もなく漂流した甚助は、まる二日の後、力尽きる寸前で通りかかった播州の船に助けられた。
三重の九鬼港に上陸し、ほぼ一月の後焼津に戻る。
荒海で、夜には先に溺れた仲間の幽霊にさそいこまれそうになりながら、必死に助けを請うたのは甚助が「小川の地蔵様」とよんだ焼津の寺である。
死んだと思われていた甚助。
彼は村へ帰ると、自分がすがって漂流していた板切れをお礼奉納した。
それからおよそ四十年後、小泉八雲は焼津の防波堤に座り海を眺めながら、老いた甚助からその時の話を聞かされた。「日本雑記」の中の一話として(もちろん英語版を)出版され、現代まで甚助の話が伝わることになったのである。
焼津の小泉八雲記念館で、まさかこの板きれの実物を見られるとは思わなかった。寺からこの記念館に移されていたのである。まさに怪談の中の人が目の前に現れた気分であった。