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機内映画「Runaway Jury」
2008-02-10
フィンランド航空でヘルシンキ経由北極圏のイヴァロ空港へ。
**
この映画、以前見ていたが面白かった記憶があったのでもう一度見てみてみた。
Juryとは陪審員の事。2004年日本公開の時の題名は「ニューオリンズ・トライアル」だったそうな。ニューオリンズ?確かに舞台はニューオリンズだが、別にアトランタでも成立つ内容だ。
この日本題では映画の内容を少しも反映させていない。
2009年から日本版陪審員制度=裁判員制度導入されていく今の日本なら、もう少し違う日本題をつける事だろう。
***
※印映画の内容については触れません。
ご覧下さい。一見の価値があります。
今回感じたのは、「陪審員制度」で一般市民が裁判に参加する事の意味。
日本弁護士連合会のHPには下記のような事件を担当する事になると書かれていた。
「裁判員制度の対象となるのは、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪などの重大な犯罪の疑いで起訴された事件です。原則として、裁判員6名と裁判官3人が、ひとつの事件を担当します。」
重大事件。社会のもっとも暗く重い場所に直接向かい合う事になるわけだ。
法律のプロではなく、日常的に自分を律する生活とは無縁な「我々」を、あえて人を裁く側に立たせる意味はなんなのだろう?
映画の中で陪審員達をこんな風に言い飛ばす言葉があった。
「流通管理の怠慢、製造物管理責任、彼らにこんなことがわかるのか?意味が分かるどころか、きいた事もないんじゃないか?陪審員は知的エリート集団か? 違う! ローンの支払いに追われ、ソファに座ってケーブルテレビに洗脳されている様な連中だぞ。やれ真実だの正義だの、アメリカの理想だの、そんな事にはこれっぽっちも興味を示さない!」
確かにその通りだ。
陪審員=裁判員、に選出される人というのは、知的エリートではない。ローンに追われてくだらないテレビを見ながらスナックを食べすぎて気持ち悪くなったりするバカである⇒自分の事(笑)
それでも、あくせく働きだらだらなまける、こんな小市民の我々の方が、法律のプロとして日夜きびしく暮らしている人々よりもより納得のいく判断ができる可能性があるのかもしれない。
常識というのは「知的エリート集団」によってつくられていくのではまったくないのだから。
また、陪審員制度=裁判員制度というのは、人間の「性善説」によって出来ている。人間が誰でも持っているだろう「人の役に立ちたい」という意識を呼び覚ます役割もあるのではないか。
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