元旦にベネチアに滞在したのは、ジュデッカ島のホテルであった。本島から水上バスで20分ぐらいだが、一日二日ベネチアにいても、わざわざこの島へ来るという事はほとんどない。いわゆる観光で有名な場所はそれほどない島なのである。
長らくほおっておかれた19世紀の製粉工場の廃墟がヒルトンホテルとして生まれかわり、小松もはじめてジュデッカ島を歩く時間を得たわけである。
島にはたくさんの修道院の名残があり、穏やかな普通の住民の暮らしがみられる。細い路地、運河沿いをゆっくり歩くのが楽しい町並みである。
「ジュデッカ」の名前の由来。
ツーリングクラブ・イタリーはユダヤ人コミュニティがあったからと書いている。語感から連想されるのはそうだろう。が、もうひとつの詳しいガイドブック「望遠鏡」には、反体制派に対する「判決」という言葉から来ていると説明されていた。「判決」の後、本島から追放され強制移住させられた島だからという事だ。
いずれにしても、ベネチアの歴史の中でもかなり早い時期に町が形成されていた歴史ある島だと分かる。今回入れなかった最も古いエウフェミア教会は11世紀に遡るそうだ。
たくさんある教会の中で、「これは見てみたい」と思ったのが、このレデントゥーレ教会である。これは16世紀に名匠パラーディオの建築として建設された。モノの本には「最高傑作」と賞賛しているものさえあった。それならば、どんなものか、見てみたくなるではないか。
「パラーディオ様式」と呼ばれるスタイルを確立したこのマエストロについては、これまでも何度か出会っていたので興味がある。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?query=1&mode=search&words=%A5%D1%A5%E9%A1%BC%A5%C7%A5%A3%A5%AA&andor=or1月1日、短い日はもう暮れかけていたけれど、幸い教会は開いていた。ミサの時間にはまだ早く、ひともまばら。
1576年9月、ベネチア元老院は「もしもペストの流行が止んだら、レデェントゥーレに教会を建てます」という願をかける。幸いこの願いは叶い、68歳になっていた名匠パラーディオに発注された。1580年に巨匠はなくなったが、弟子のポンテが忠実に引き継ぎ、1592年に無事完成。
入ってすぐ感じるのは簡素な空間であるという事。
ごてごてした派手な彫刻や、飾り立てた祭壇はない。古いカソリック教会にある重々しさとは全然違う。もちろんここはカソリック教会なのだが、ギリシャ神殿のようなシンプルなバランスよい空間である。
入ってすぐに「おお〜!」と驚嘆させるゴシック的な建築では全然ないけれど、このバランスよく知的な雰囲気こそがパラーディオの持ち味なのだと感じさせてくれる。