奈良の冬の風物詩、若草山の山焼き。
五年前の旅仲間の集まりに呼んでいただき、はじめて見ることが出来た。といっても、目の前じゃなかったのですが(笑)。
まず、「山焼き」というと、だれもが山肌を埋める炎の海をバックに花火が上がっている写真を思い出すのではないだろうか。
※下記ページのような
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20080113NN000Y54313012008.htmlしかし、実際にこのように見えることは絶対にないと分かった。
なぜなら、花火が終わってから点火をするからである。
17:50 市街の明かりが消され、花火が上がりはじめる。
18:00 花火が終わって、いっせいに周りから点火。
このような手順になるのだから同じ画面で写っている写真は長時間露光の魔術である。写真に「真実」が「写って」いるとは限らない。
右の写真は今回小松が撮ったもの。西大寺駅近くのデパート最上階から、点火前の花火を撮ったもの。17:50に街灯が消されると、冬の夜空に続々と炎の花がひらいた。花火はけっして夏ばかりのものでないと思わせてくれる。花火の明るさに、これから火がつけられる若草山のススキの海が浮かびあがっている。
十分ほど、ひとしきりの花火がおわると、山の斜面にちらちら燃えるかがり火が一列に並んでいる様子が分かる。焼くべき広野の周辺に松明を持った人がとり囲んでいるらしい。
18時になると、その火がさあっとつながっていき、柴山のススキの海に点火された様子がうかがい知れた。
さぁ!そこで火は風に乗ってうわぁあっと広がる!気配がない・・・?白く上がる煙ばかりがたなびくばかり。
「ああ、今年は勢いありませんなぁ、きのうまで雨降っとったさかい」いつも近くの県庁舎から見ていたという方が断定的に語る。「今年はもうこんなもんですやろ」。なるほど、雨になったら順延になったかもしれないのだから、見られただけ良かったのですな。
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何故山を焼くかの由来は諸説ある。
東大寺と興福寺の寺領争いというのが、多くのガイドブックに載っていた。しかし、某HPではこの山の頂上にある古代の古墳から出てくる幽霊を鎮めるための放火であったと書かれていた。
山の頂上にある古墳というのは珍しいという。
この若草山ではないが、謀反の罪で殺された大津皇子は二上山の山頂に葬られた。これはこの世とあの世の堺とされた場所に葬るという、死後へも続く嫌がらせだったと聞いたことがある。
さて、この若草山の山頂に葬られているのは誰なのだろう。