本日、日本へのフライトは夕方なので、午後1時半までは時間があった。グラン・パレで来年1月28日まで開催している「クールベ展」、やっと見ることができた。
前回来た時にも行きたい気持ちはあったのだが、実を言うとイヤフォンガイドの英語解説をちゃんと理解しきる自信がなかったので躊躇していたのである。自分にある程度の知識がある画家についてならば、はじめて聞かされる英語解説でもついていくことができるだろう。しかし、私にとってクールベはそうではないので。
こんな不安を払拭してくれたのは、パリの観光バス案内所で偶然みつけたチラシ。
「日本語ガイドあります。会場入口で借りられます。」
なぁんだ!それなら是非行かなくちゃ(笑)
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会場は空いてはいなかったが、きのういったルーブル美術館のモナ・リサの部屋のような状態ではなかった。入場券もさっと買えたし、中でイヤフォンガイドもすぐ借りられた。※係りのフランス人女性がさらっと日本語で応対してくれたのにびっくり。日本人はほとんどまったく見かけなかったけれど、やはりこういう配慮がされているのは嬉しい。
会場の配列はだいたい彼人生に沿って組み立てられている。
はじめの部屋はサロンに始めて入選した頃から三十歳中ごろまでの自画像が多い。今回の展覧会のポスターになっているのは二十七歳の時、サロンへの出品を拒否され、恋に破れ、落ち込んでいる自分を正面から描いた自画像である。
地方の裕福な地主の息子。
落ちる事もあったが、若いうちはサロンでも基本的には評価されていた。
しかし、三十六歳の時、パリの万国博覧会に出展しようとした「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」が審査員に拒否されて意固地になる。万博会場の前にこれらの絵を展示して入場料1フランで見せていたというのでは、やっぱり問題児ですな。
今は普通にオルセー美術館に展示されている「生命の起源」などは、現代の我々がみてもぎょっとする。
会場はそういった時代を経て、だんだん狩や波を描くようになっていくクールベの生涯を追っていく。
最後はパリ・コミューンの時、騒乱を助長した咎でスイスに亡命。生活の為に描いたレ・マン湖にあるシオン城の絵の小品も展示されていた。
フランスが波乱万丈の時代に生きたおかげで、クールベの生涯は必要以上に波乱に満ちたものになったのだと言えるかもしれない。
時代に迎合せず、自分の描きたいように描き、時代とゴリゴリ摩擦を起こした絵描きだったというのが、今回の展覧会を見て私がクールベについて持った印象である。