ウィーンから東へ。ハンガリーとスロバキアの国境線を画するドナウ川とつかず離れず走る。
ドナウ川が急に南へ流れを変えるあたりを「ドナウベンド=ドナウの曲がり」と呼ぶ。ここらあたりにはハンガリーの古い都エステルゴムやセンテンドレなど、美しい小さな町がある。
この写真は古城ヴィシェグラードへ登る道の途中にある展望台からの撮影。
早く日暮れていく冬の陽に光るドナウ川に、不自然な護岸工事がされているのが分かるだろう。ここはかつて発電所計画がされていた所である。
ハンガリーは鉱物資源を保有し、それによる工業も盛んな国である。特にボーキサイトが有力な資源で、社会主義時代からずっとアルミニウムを精錬している。
アルミニウムを作り出すためには莫大な電気が必要となる。アルミニウムの製錬は製造コストのうち40%を電気代が占めるとまで言われるのだ。発電が石油なんかを使っていた日には、昨今40%はかるく越えてしまうだろう。
そこで、ハンガリー政府はこの美しいドナウの渓谷に水力発電所を計画したのだ。ハンガリーにとって必要な計画だったのである。
しかし、ドナウ川はハンガリー一国のものではない。
ハンガリーは海に浮かぶ島国でもない。自国にある川だからといって自国だけの都合で好きに使うわけにはいかない。
アルミニウムの製造過程ではかなりの温室ガスも発生する。1990年代であっても、環境に対して悪影響がある事は明白なこの計画は
オーストリア、スロバキア、旧ユーゴ諸国、などが反対し、工事まで始まっていたのにそのまま放棄されて、その跡がこうしてほったらかしになっている。
環境・景観は守られた。
しかし、電力はまかなわれなかった。
今日、美しい田舎道を走っていると、突然社会主義時代の雰囲気を強く感じさせる工場の廃墟が道路沿いにあるのに気がついた。
アルミニウムの精錬工場だったのだそうだ。
社会主義経済圏の中でやっていたハンガリーには、ロシアから莫大な電力をまかなう電力・石油資源が、安価に供給されていたという。
最早ソ連の庇護がなくなってしまった現代。西側諸国や発展途上国との苛烈な競争に曝される様に時なり、ハンガリーのアルミニウム産業はゆっくりと首を絞められている。
それはひとつの産業の斜陽という抽象的なニュースではなく、そこに働く人々の生活が破壊されていくという悲壮な現実を出現させる。
我々観光客は、景観や環境が保全されることを「良いこと」として感じるだけだ。けれど、実際にはその裏側でどんな事が起こっていくのかをちゃんと感じる力ぐらいは身につけておきたい。