パリのメトロ3号線。ペール・ラシューズ墓地の少し手前の駅に「パルマンティエ」という駅名があった。フランス語の先生から是非そこで降りたいというリクエストがあった。降りてそのプラットフォームの展示を見たいというのである。
パリのメトロ駅はそれぞれに趣向を凝らした装飾がされていて、人名がついた駅ならばその由来を解説した展示もされていたりする。パルマンティエ駅もそんな駅のひとつだった。
しかし、私はパルマンティエという人をについて何も知らなかった。この写真の銅像、いったい何を渡しているのだ?
駅の展示を見て少々解説を得て、それが何か?彼がどういう人だったのかを知った。
フランスにじゃがいもを普及させた人だったのである。
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後日、フランス人のガイドさんにこう質問してみた。
「パルマンティエっていう名前、普通のフランス人は知っているんですか?」
「フランスの小学校の給食でよく出るメニューにアッシュ・パルマンティエというのがあるんです。じゃがいもとひき肉を混ぜ合わせ平らにしてオーブンで焼いたもので、一度にたくさんつくる事ができるんです。子供達はこの料理でまずパルマンティエの名前を聞くことになるでしょうね」という答えが返ってきた。
なるほど、パルマンティエはフランス人の基礎の部分に深く染みこんでいるらしい。
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パルマンティエは1737年生まれ。(昨日の日記に書いた初代ルーブル館長ドゥノンの十歳年長)。新大陸から来たじゃがいもはフランスでは知られておらず、はじめ豚のえさとして使われていたらしい。※このあたりのところは諸説あり、はじめは貴族階級の食卓にしかあがらない品であったという話もある。ドイツでははじめ観葉植物であったという。
パルマンティエ自身がその味と栄養を知ったのは、戦争捕虜としてプロイセンに捕まっている時に与えられた食事としてであった。
1771年フランスに飢饉が起こると、その対策としてパルマンティエが推進したじゃがいも栽培が成功していくようになった。食べた事のないものには懐疑的な農民にその効用を理解させる為に、わざわざ高級食材のように見せて栽培させたりもしたそうである。このあたりのテクニックはドイツでの普及の時にも同じ逸話がある。
彼の努力によりじゃがいもはフランスの食卓に欠かせないものになった。今でもフランスのじゃがいも料理の多くに「パルマンティエ風・・・」という名前を留めている。ややこしいフランス語のメニューに「パルマンティエ・・・」という文字を見つけたら、それはじゃがいもが使われていると考えて間違いない。
それにしても、こうした駅名と共に銅像まで作ってしまうパリ市の歴史に対する敬意とお金の払い方に脱帽。東京の地下鉄も近頃は駅毎に装飾を考えてはいるようだが、もっと歴史的な解説を充実させてみてはどうだろうか。