パリから北へ30分ほどの小さな町、昨年の秋始めて訪れる機会を得て感激。今年の《手造》に組み込む事にした。
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ここサンリスではローマ時代からの3世紀の城壁が町のあちこちにその姿を見せている。古代からの歴史が同じ地面に積み重なっている。西暦978年、カロリング朝が終わり、パリ伯ユーグ・カペーがこの町でフランス王に選ばれた事が、カペー王朝のスタートとされている。
小さな町の中心には聖ルイ九世など伝説の王達が滞在していた王宮があった。そこは今、公園博物館として整備されている。大聖堂はシャルトルとおなじく12世紀頃からのもの。しかしシャルトルのようなステンドグラスはない。
一方聖堂の建築・彫刻、まわりの町は充分一見の価値がある。
教会の中に設置されていた構造の歴史的変遷図を見ていて「ここが教会で一番古い礼拝堂なんだが、今日は閉まっていて入れないなぁ」と思っていた。すると、教会の人がつかつかやって来て扉を開けてくれたではないか。ミサが始まる前に我々に入って見ていけというのだ。田舎の人は親切です。
この写真が古い礼拝堂の内部。
一歩はいると時代の空気ががらりと変わった。
下部にロマネスク時代の厚い石積みアーチがごつごつ組み合わされている。描かれたフレスコ画もスタイルがふるめかしい。
天井に近い上部はゴシックである。後の時代の火事で壊れた部分をゴシックで建築したとみた。
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こういったほとんど日本のグループが訪れない町のガイディングを誰に頼むかは難しい問題である。今回パリからお願いした日本語を話すフランス人のガイドさんは、日本語は達者であったが、サンリスに対する興味そのものがあまりないように感じられた。
まぁ、日本語のガイドをしていてサンリスのしっかりした説明を求められる事などほとんどないのだろうから仕方ないのですが、少し残念ではある。
むしろサンリスの町の観光局から英語を話す人に来てもらうほうが、より深い理解のできる観光をすることが出来たかもしれない。
その場合は当然小松が苦労しながら英語を日本語にして話すことになる。たいへんなのは、言葉はただ置き換えればよいというものではなく、聞き手が理解できるような言葉を探さなくてはならないという事。これは毎回ひやひやしながら行う作業である。専門通訳などではない小松にとっては、きりきりと胃と頭が痛くなる作業である。(ま、それでも楽しんでやりたいと思っていますが(笑))
結局通訳作業というものも、日本語の情報・語彙の選択が全てであると言って良いだろう。
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午後はシャンティ城へ移動。
城の地下にある昔からの食堂にて昼食。ここはシャンティ・クリーム発祥の地。バッフェの中にももちろんありました。
食後、城のコレクション=コンデ美術館を見学。ルイ・フィリップ王の息子の一人であったオマール公が手塩にかけて集めた絵画その他の、目を見張る品々である。
有名な一枚「牡蠣の昼食」を見るのはこれで三度目であるが、今回はシャンパーニュに行ってきたせいでより面白く見られた。これは、シャンパンというものが始めて絵画に描かれた作品なのだそうだ。
また、描いた画家フランソワ・ド・トロワの人生についても少し知った後だったので、より興味がわいた。
「ベリー公の優雅なる時祷書」は図書館に展示してあった。
ちょうど有名なルーブル砦が描かれているシーンが開かれていた。種まきをする人が描かれているがこれは10月このシーズンなのだそうだ。以前特別公開として、城に併設された礼拝堂で単独公開されていたのを見たことがある。通常にはほとんど公開されないのだとすると・・・これはよく出来た公開用の複製品という可能性はある?
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シャンティは生きた馬の博物館としても有名である。
夏季にのみ馬のショーをやる。10月最後の日曜は今年最後のチャンスなので、どうしても見ていこうと思っていた。
16:30から約一時間のショー。ルイ15世時代からのドーム型の馬場は狭くて埃っぽいが、馬の美しさに感銘をうけるひと時であった。