シャルトルを朝9時40分に出発しランスへ向かう。
ランスはパリの北、つまりシャルトルからはパリをはさんで逆方向となる。バスをチャーターして三時間程の行程である。
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朝、先ずはシャルトル郊外にある「ピカシェット」と呼ばれる風変わりな家を訪ねる。1963年に亡くなったレイモンド・イシドロというふつうのシャルトル市民の家なのだが、彼が一生をかけて膨大な破片でモザイク装飾を施し、他にはない場所になっている。
まったく専門的な学習をしていない人がこういった「作品」を作り上げる時、時に「プロ」もそう簡単に太刀打ちできない精神性に到達する事がある。「ピカシェット」もそういったもののひとつかもしれない。
日本のガイドブックには、載っていても小さな写真一枚で済まされてしまう場所。しかし、実際に行ってみるとなかなか印象的な場所なので組み込む事にした。
※この「ピカシェット」についてはまたの機会にもう少し触れたいと思います。
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パリ近郊の環状道路を経由して、ランス郊外に着いたのは14時過ぎであった。今回この町をコースに入れたのは、ここにレオナルド・フジタ=藤田嗣治の礼拝堂があるのが大きな理由である。
昨年2006年、日本で大規模な藤田嗣治の回顧展が開かれた。
フジタの作品は散逸していて、モネのようにどこかの美術館でまとまって見るという事が出来ない。それは、それだけフジタの作品が彼の生きた時代に評価され、売れていたという証明なのだろう。
しかし、現代の我々にとって、特に日本人にとっては、彼の足跡を作品と共に辿る事ができないのは残念な事だった。
昨年の展覧会はそういった長年の希望を実現させてくれた。第二次大戦という時代に生き合わせた不幸も含めて、フジタの実像をよく理解させてくれた。 私にとってもほとんど名前ばかりの知識であった彼の実像を理解することが出来た始めての場であった。
若き日にパリで自分独自の画法を完成させ、エコール・ド・パリの画家のひとりとして評価を確立した時代。北米、南米を旅して華やかな色に目覚めていく時代。帰国して精力的に日本の事物を描こうとした時代。基本的に人生に沿った展示がされていて、それぞれの時代に全力を注いでいた姿が伝わってきた。
最後のコーナーでの展示は戦後。
59歳で終戦を迎えると、戦争中軍部の注文により戦争画を描いた事でまわりから糾弾されることになる。 結果的に、いわば日本に見切りをつけてフランスに移住したフジタは、晩年どのような境地に至っていたのだろう。
人は晩年の身の処し方がいちばん難しいのかもしれない。
若き日の体力はすでに取り戻すすべも無く、一度は手に入れた地位もいまは過去のものとなっている。良かれと思ってやった事もあとから批判され、故国を捨てて帰化したフランス。いまや老境に入り尋ねて来る人もまばらな自分は、いったい何の為に必死に人生を生き延びてきたのだろう。
フジタがこんなペシミスティックな思いを持つような人だったとは思わないけれど、晩年の彼のの祈りのようなモノが、80歳を越えて製作されたランスの礼拝堂に詰まっているのではないかと思ったのだ。
※礼拝堂の印象はまた別の機会に(そればっかり)。
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礼拝堂はシャンパン会社の敷地にある。F1優勝者が開けるシャンペンで有名なマム社である。礼拝堂を造るにあたりマム社の社長がが援助してくれたのでここに礼拝堂が建てられることになったのである。
すぐそばにあるシャンパン工場だが、はじめは見学しなくても良いかぁ、と思っていた。正直半日の時間しかないのならば、ランスの市内でまだまだ見学しておくべき場所はあるのだから。
しかし、説明会でお話していると、「シャンパーニュへ来たのだからやはりシャンパン工場の見学もしておいてよいかもね」という、考えてみれば至極もっともな意見が聞こえてきて、こちらを優先することにしたのである。
そして、今回シャンパーニュへ来るにあたり新たに読んだ「シャンパン歴史物語」は面白かった。シャンパンという酒だけでなく、そのまわりの人間模様やランスという町やシャンパーニュの歴史についてもよく理解させてくれる一冊であった。
マム社はもともとドイツ人の創立になるが現在は完全にフランス化している。しかし、シャンパンという高級酒はその唯一無二の性格上国際的なものとなる立場にあったのかもしれない。
酒蔵の見学は一時間ぐらい。英語のグループと一緒に回ることになった。シャンパンの原材料となるぶどう三種。ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネの実物展示。たくさんの村々から取れるワインをそれぞれ一次発酵させる樽。それらをブレンドしてつくる専門家のコメント。瓶に入れて二次発酵させ、ルミアージュ(動瓶)する、シャンパンならではの方法。
これらが終わってから試飲させてくれるのだが、これだけ手がかかる事実を理解してからいただくシャンペンは、飲めない人でもかなりおいしく感じられる筈である。
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15時半過ぎ、ホテルにチェックインし荷物を置く。
身軽になった所で大聖堂を見学。
この大聖堂は第一次大戦でドイツ軍に容赦なく砲撃され、炎上した。かろうじて崩壊はせず修復されたが、ファサードのクロービスの戴冠の像も、ステンドグラスの窓枠もことごとくその猛火の名残を感じさせる。中世の歴史よりもこの現代の悲劇の方を色濃く感じさせる聖堂である。