今日も青く澄んだ冬の空。
ジベルニーへ行く方々をお送りした後、ペール・ラシューズの墓地へ行く。
ジム・モリソン、ロッシーニ、ショパン、ここはフランス人だけでなく多くの世界的著名人が葬られている。また、19世紀パリコミューンの時には反乱軍が最後の最後に篭城したのがこの墓地で、墓石を楯に銃撃戦を展開し、最後に壁際で銃殺された場所でもある。
地下鉄の駅を出るとすぐに大きな花屋。もうすぐ全聖人の日。カソリック圏のいわばお彼岸にあたる季節でにぎわっている。
御一緒したフランス語の先生は菊の花束を買って、いままで作品にお世話になったビクトル・ユーゴーとアルフォンス・ドーデの墓に手向けるという。これは観光じゃなくて立派な墓参りです。
壁の中はとても広く、ゆったりとした傾斜地に広大な敷地を有している。先の花屋で売っていた墓場マップで著名人の墓地図を広げ、予め訪問する墓を決めて歩き出す。
区画がはっきりと表示されているので自分がどこにいるのかは分かりやすい。しかし、墓石の名前というのは時に我々が知っているの名前が刻まれていないことも多いので、簡単に見つかる墓ばかりではない。ファミリーの墓になっていれば、そこに知った名前が書かれていない可能性もある。奥のほうにある墓は表からすぐにはわからない。
そしてそれらを表記した看板を全てに立ててくれるほど墓地の管理者は親切ではない。画家アングル、版画家として知られたドーミエ、バルビゾン派カミーユ・コロー、ナポレオンの画家グロ、このあたりは探すのに手間取った。
ラ・フォンテーヌ、モリエールを経てやっとアルフォンソ・ドーデの墓へたどり着く。彼の墓は家族のものの一角になっているので、墓標を読みとってはじめて場所を特定できた。
ビクトル・ユーゴーはさすがに有名なのですぐにわかる。意外に質素にみえるが、ビクトル・ユーゴーはパンテオンの中にも墓をもらっているから、ここではカタチだけで充分なのかもしれない。
一番人気の墓はどこか。
それはショパンの墓であった。
墓石もなかなかよく出来ていて、ショパンの死を嘆く白い乙女の彫刻が載せられ(音楽をあらわす?)、台座にショパンの端正ながら繊細そうな横顔があしらってある。
花束がいっぱい捧げられていて、観光客が溜まっていたのですぐにどれだか分かった。
ショパンの墓も一応写真に収めて、ふと、その真前にあった銅像の墓碑を読むとDENONと書かれていた。お墓マップに載せられていないが、初代ルーブル館長である。※彼についてはまた書きます。
最後にエジプトの象形文字ヒエログリフを解読したシャンポリオンの墓を探す。するとその場所らしきところへ近づくとこのオベリスクが見えてきた。シンプルに「シャンポリオン」とだけ記されていたが、形そのものでエジプト学者らしく見せていた。