銀座四丁目交差点の誰でも知っている和光ビル。昭和7年に建設されたスタイルを今も留めているそうだ。東京大空襲の時にもビル本体は破壊されずに残った。
今日交差点を渡りながらこのビルをあらためてみて見てみた。と、横に伸びた線がとなりの建物もそれを引き継いでほしいと希望しているように見えた。
つまり、パリのように全ての建物が個性を持ちつつ同じコンセプトを引き継いでいる町並みをこの建物は求めている。
残念ながら、この水平の線は両隣の建物どちらにも理解はされず、それぞれ独自のデザインと色になっている。となりのビルの所有者にとっては、和光ビルがどういうコンセプトだろうと自分のしたいカタチにビルを建てて何が悪いということなのだろう。それは、日本ではまだ通る考え方なのかもしれない。
興味があるのは、昭和七年当時の隣のビルがどうだったのだろうという事である。もしかすると現代よりももっと協調性・公共性を意識したビルがあったりしたのかもしれない。古い写真を見てみたいです。