午前中デルフィをじっくり見学。いつもは見学する時間のないギムナジウムやトロスのあたり(デルフィ神殿から少し下にある)まで行く事が出来た。アテネへの帰路めったに行かないオスオス・ルカス修道院へ立ち寄る。
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オシオス・ルカスの修道院は10世紀に隠者ルカが住んだ場所に造られた。現在見られる教会堂二つも10世紀、11世紀の構造を現在まで留めている。そして、ビザンチン時代の上質のモザイクやフレスコ画を現代でも見ることが出来る、ギリシャ全土でも稀有な場所である。
コンスタンチノープルの影響が明らかに見られるモザイク。あるいは工人グループそのものを呼び寄せて造られたのかもしれないといわれる。アヤ・ソフィアのものを見たことがある人ならばすぐにピンとくるはずだ。
約千年を生き延びてきた建造物は、ファサードこそ修復中だったがそこに対面するだけで圧倒的な存在感がある。積み上げられた石、赤いレンガ。地下聖堂。黒くこげた厨房の天井。
1204年にはヴェネチアが指揮をとった第4回十字軍によってルカ本人の遺体はローマのヴァチカンに持ち去られた。・・・と書かれた本があったが、数年前ヨハネ・パウロ二世の時代に返還されて、ガラスケースの中にミイラが安置されていた。たくさんの信者がガラスケースに口づけし、祈ってはタオルでガラスを磨いていた。
この修道院が成立した時はもちろんギリシァ正教だったわけだが、中世後期からはカソリックのシトー派によって運営されていた。ギリシャ独立後再びギリシャ正教に戻っているが、しとー派時代の簡素さも感じられる。
ふたつある中世の教会、パナギアとカトリコンは、建物の一部が重なり合うように建てられている。パナギアのファサードがもうひとつの横に食い込むような構造になっているのだ。なぜそのようになったのかは分からなかったが、興味深い。
この写真はその食い込んだファサードの部分にあったフレスコ画である。内部にあるからもともとカトリコンの内部装飾だったのだと勝手に思い込んでいたが、あとから資料を読んでいて、旧教会の外壁だったものだと気づいた。描かれているのは旧約聖書のヨシュアが天使と話している図だそうだ。天使は壁のなかに埋もれてしまってみる事ができない。
物事目で見ているだけで分かる事ばかりではない。