午前、船はトルコ領クサダシ寄航。
午後は黙示録の書かれた島パトモスへ。
ここは緑ミシュランが「エーゲ海のエルサレム」と書いている場所である。
もちろん船のオプションがあり、聖ヨハネが神の声を聞いた洞窟や修道院を見学する。しかし、それでは訪れない魅力的な場所がこんな路地だと思いませんか?
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山の上の白い村の真ん中ににょっきり突き出した黒い要塞修道院。そのまわりに入り組んだこんな迷路がひろがっている。
角を曲がったら次はどんな道がひらけるのか少しも予想できない。迷子になるかもしれない不安を少しは抱えながら、こんな路地を歩くのが好きだ。
こういった路地や家々は何百年もの風雪を経ている。住んでいる人が次々に塵になってしまう年月を同じ姿で存在し続けている。そんな家に住む人は、たとえそれが自分の家であっても、実の所は家に「所有されている」ような気持ちになるのではないだろうか。
私のように建売住宅に住んでいる多くの日本人にはなかなか理解できない事に思える。
私が路地を放浪するのはそんな「憧れ」が心の底の方に沈んでいるからだという気がしてくる。