サンクト・ペテルスブルグの要塞にはロマノフ王家の墓所がある。この町を開いたピョートル大帝以降のロシア皇帝一族の為の場所である。
通常の観光だと遠目に「あれがペトロ・パバロフスク要塞です」でおしまいなのだけれど、やはりこうやって足を運べばいろいろ興味深い事が見えてくる。
ロシア革命で断絶した王家だが、昨年2006年新たに新しい墓がつくられた。最後の皇帝ニコライの母マリア・フョードロブナの墓(写真右)がそれだ。
彼女はデンマーク王クリスチャン9世の娘。最初はロシア皇帝の長男と婚約していたが、彼が死去した為弟と結婚した。
嫁いだ時に健在だった義父・皇帝アレクサンドル2世が爆弾で暗殺され(その場所に現在あるのが血の上の教会、下記参照)
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2003/030519/夫が即位してアレクサンドル3世となった(写真左が彼の墓)。
彼は大男で、列車事故に遭った時に怪力で落ちてきた屋根を支えて同乗していた家族を守ったとの逸話もある人だ。妃マリヤはこの夫に命を救ってもらったという事になろうか。
息子は最後の皇帝ニコライ2世となる。
1917年の革命の時クリミア半島に滞在していたが、仲良しの姉の夫であったイギリス王エドワード7世に助けられ、最終的に生まれ故郷のデンマークに亡命した。息子ニコライ一家が殺害された一報は受け取りを拒んだそうな(Web辞書より)。
1928年10月13日70歳で亡くなり、デンマーク王家の墓所に埋葬されていたが、ロシア政府との話し合いで昨年2006年に夫の隣に改葬されたという事である。
彼女はオーストリアのエリザベートと比較されるような美女であったそうだが、ロシア史の中で目立つ存在ではなかった。しかし、今回の改葬がきっかけで、デンマークの画家の展覧会が催されたりして、少しはロシア・デンマーク両国の関心が高まった。死して後も両国の親善の役に立てて本望な事だろう。
改葬にあたり彼女の棺がペテルブルグの港に着いたのは2006年9月26日。140年前1866年の同じ日、18歳の彼女がペテルブルグの港に降り立っていた。