ローテンブルグ発、ロマンチック街道を南下しノイシュバンシュタイン城を見学。そのすぐ下のホテル泊。
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ロマンチック街道(昔のローマの街道だからそう呼ぶ)がまさにローマ人の道であった時代に建設された町アウグスブルグ。初代皇帝アウグストスの名にちなむ。
写真栄えする派手な建物はあまりないので、日本の観光グループは最近立ち寄らなくなってしまった。道が今ほど高速道路化されていなかった15年ぐらい前には、日本のツアーも昼食はよくアウグスブで食べていたものだった。
今回ほんとうに久しぶりにアウグスブルグのレストランで昼食。幸い運転手はよく道を知っており(道をロクにしらないバスの運転手さんだとこういう時は大変!)、交通状況も極めてよかったので、昼食予約時間の1時間近く前には目的のレストラン近くにいた。
「フッゲライ、できれば見せてあげたいんだけれど」
というと、運転手は「いいよ」とあっさりOK。複雑な旧市街の道だが、入口のゲートまで行ってくれた。ありがたいです。こうして日程表にはない見学地をひとつ提供できました。これを見るか見ないかで、アウグスブルグの印象は全然違ったものになることでしょう。
日程どおり、マニュアルどおりのツアー運営では旅の面白みというのはどんどん削がれていくばかり。こういう味付けができることが我々の存在価値の筈である。
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さて、フッゲライとは何か?
十六世紀始め、この町の豪商フッガー家が建てた「貧民救済住宅」と、ガイドブックに載っていたりする。が、「貧民」というよりも、実際はまじめな「労働者」の為の住宅である。
天井は低いが江戸時代前にこれだけ設備の整った住宅。世界に先んじてこれを、労働者のために建てさせたヤーコプ・フッガーという人はなかなかですなぁ。と、印象を持つ。
この写真のように煮炊きする竈もしっかりしたものが各家にある。水道も清潔な水場が、すぐ近く共同だが使えた。
壁に開けられた横長の穴は向こうがリビングルームになっている。そこから「もうすこし火を入れてくれ〜」とか声をかけていたんだろうなぁ、と雰囲気が伝わってくる。竈の火はリビングルームのストーブにも通じているのである。
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ヤーコプ・フッガーはしかし、社会の為と共に自分の為にフッゲライを建てたともいえる。
入居者の条件のひとつに「毎日創立者の為に祈る事」というのがあり、すなわちヤーコプ・フッガーの為に祈る人々を、彼の死後にも確保する事が出来たわけである。フッゲライが完成してから5年も経たずにヤーコプは死去した。フッゲライの建設は「あの世とのとりひき」であった、と解説した研究者もある。