古城街道を通り美しき穴場の町バート・ウィムフェンを散策。昼食はさらに穴場のシュワービッシュ・ハル。15時にはローテンブルグ到着。
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シュワービッシュ・ハルの町は何度も来ているが、いつでも掘り下げて探求する時間が足りなくて残念な思いをしている。今回も二時間ほど。とても足りていたわけではないが、ひとつふたつ新たな発見があった。
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市の中央にそびえるミカエル教会へ入ってヨハネス・ブレンツの墓碑の説明をしていたら、教会守のおじいさんがにこやかに近寄ってきた。「おまえはヨハネス・ブレンツを知っているのかぁ」と、たどたどしい英語で嬉しそうに説明を始めてくれた。日本人がヨハネス・ブレンツについて話してくれているのが余程嬉しかったらしい。
この町の歴史を読んでいると、ヨハネス・ブレンツが宗教改革で大きな存在であった事が理解できる。教会のある祭壇はこんな風に説明されている。
「1526年のクリスマス。ヨハネス・ブレンツはこの祭壇の前で、プロテスタントの思想にのっとり、パンもワインも使わない聖体拝領をはじめておこなった。」
キリスト教徒の宗派争いというのは、日本人にはちょっと理解する事が難しい。しかし、彼らが信じるものに傾けた情熱は理解する事ができる。人種や宗教や時代や場所が全て違っていたとしても、誰かの心に点った情熱だけは共通して感じる事が出来る筈である。
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いくつか場所を案内してくれた教会守のおじいさんが、最後にみせてくれたのがこの硬貨である。後陣を囲む礼拝堂のひとつに、発掘されたらしいガラスの杯や碑文と共に展示されていたのである。小さな観音開きの祭壇に電気を点してくれなかったら、こんな硬貨があるのには気づかなかった事だろう。
年代記には1190年にこの町で鋳造されたハラー銅貨が、この地方の標準通貨になっていたと書かれていた。表面は一見銀に見えるように加工されているらしいが、地の銅が見えている。
後からいろいろ調べてみると、この硬貨の表面には片面に十字架、もう片面には祝福する右手が刻まれていたらしい。このふたつはシュワービッシュ・ハルの紋章になっているものである。
帰国後この写真を拡大して見ても、ついにそこまでは読み取れなかった。。。また次回、実物から確認するしかないか。
※そんなチャンスは本当にやってくるのだろうか?
「また来るよね」と思っていて実はもう二度と訪れることのない場所がたくさんあるのだと、いつも思っている。