午前ドブロブニク観光、午後は自由。
**
アドリア海の真珠。
ベネチアが制海権をにぎるこの沿岸部で唯一独立を保った町であった。細かい年代を見ていくと、なんどもベネチアに支配されていた時期はある。しかし、その度にドブロブニクの人々はしぶとく自立した地位をとりもどした。
実際に政治の実情を見ていくと、政治形態は小型版ベネチアに見えてくる。おなじ様な人々ならそんなに違和感なくベネチア化されてもよさそうに思えるが・・・。
いや、そうではない、ここもまた民族のモザイクバルカン半島への入口。ドブロブニクはベネチアと同じラテン人だけではなく、スラブ人達が住む町でもあった。実際にクロアチア語は、内陸部のセルビアやチェコ、ブルガリアやロシア方面の人々とは言葉も近い。商売をする上でこれはベネチアと違う優位だったのだと考えられる。
また、トルコが間近の脅威であった時代。
ドブロブニクはトルコとオーストリア、両方のパワーのあいだに立ち、時には両方に金を払い独立を保ってきた。まさに、彼らのモットー「自由はどんな黄金を対価にしても売り渡してはならない」の言葉通り。
ドブロブニクを守ってきたのはこの目に見える城壁だけではなく、混合民族らしいバランス感覚だったように思う。
***
この写真の風景は、山へ上がっていく途中にある展望台からのもの。かつてあったケーブルカーは戦争で破壊されたまま。町からもその残骸が見上げられた。