午前、スプリトの観光。
ここの見ものは旧市街の核を成しているディオクレティアヌス帝の宮殿である。先代皇帝の暗殺を受けて49歳で即位したディオクレティアヌスが60歳で自ら決めて引退した後住んだ場所である。
もともと出身地がここの近くサロナというローマ時代からある町だったが、故郷そのものに宮殿を建てなかったのは何故だろう。現地のガイドが何度も言ったように、暗殺が恐くて人と会うのを避けるパラノイア的性格だったからだろうか。
何にせよローマに最大級の浴場を建設した皇帝は、引退用の宮殿も大規模な宮殿にした。今のスプリト旧市街の半分が宮殿だった場所なのだから。今でも地図上ではっきりと四角い宮殿の場所がわかる。いや、地図上だけでなく、この写真のようにはっきりと壁が残されている。
ローマ帝国の崩壊後、外敵の侵入にさらされるようになった人々は、丈夫なかつての宮殿の壁の中へ住み着くようになる。今のスプリトの旧市街はこうして出来てきた。
**
この写真は壁が海に面している南門外のプロムナード。当時はこんな散歩道はなく、壁の外はそのまま海に通じていたと思われる。
バカンスを楽しむ欧米人は暑い昼間はあまり出てこない。22時を過ぎて、「さぁこれから」と夜を楽しみにどんどん繰り出してくる。
ディオクレティアヌスの宮殿の壁は、家々の壁に組み込まれて1700年の年月を生き延びている。