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機内映画「憑神」
2007-07-13
○憑神
始まってすぐに榎本武揚が登場。「お!」と時代に興味を引かれて見入った。主人公が榎本の旧友という設定なのである。あとの方で勝海舟も登場してくる。それ自体はストーリーに大きな意味を持っているわけではない。内容については書かないが、その筋立てや運びなど映画としてよくまとまっていて、一見に値するとだけ言っておきたい。
映画の出来とは別にこの映画に感謝したくなった事がある。
それは、上野の山がどんな場所だったのかをしっかり認識させてくれた事。
いつも美術館へ行く時に通る桜の道、人々が花見の宴会をするあの上野のお山。あそこで、たった百数十年前どんな事があったのか、どんちゃん騒ぎの宴席の人々はどれだけ理解しているのだろう。
彰義隊が最後の戦いをする図画を神社で見かけたことはある。その時「ほぉ〜そうだったんだ」という思いは感じた。しかし、鈍感な私は命をかけて立てこもった人々の気持ちを感じるには至らなかった。この映画をみてはじめてその手触りを感じることが出来たのであった。
現代の目から見て、最後の将軍徳川慶喜は評価されていると言えるだろう。大政奉還を行い、その後いっさい明治政府に手向かいしなかった。その事は、面子を重んじる時代にあって「なかなか出来ない事」を勇気をもってやったとされている。しばらく前の大河ドラマの主人公に取り上げられたぐらいなのだ。
しかし、当時の江戸の人々が彼をどう評価していたのかは別である。
大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いで破れると大阪から江戸へ逃げもどり、江戸城を根城に一戦交えるかと思えば、あっさり無血開城。 上野の寛永寺に御預けになり、そこへ幕臣が集まってくると、今度は水戸へ逃げ込む。「将軍様は逃げ出した」というのが一般の人々の評価だったに違いない。
そして、信じた将軍に見捨てられた様に見えても、なお新政府に納得できない人々が、江戸での最後の砦にしたのが上野のお山だった。彰義隊は慶応4年、つまり明治元年2月に江戸の旧幕臣が結成し一時は二千人を数えたという。 しかし、4月11日に江戸城が明け渡されると、5月には上野の山の戦いで壊滅した。たった4ヶ月にも満たなかった短命な戦闘集団である。
しかし、その名前は今に残っている。たとえ負けても、犬死の様に見えても、何かに信義を尽くそうとした者は人の記憶に刻まれる。年月が経ってもそれを語り伝えてゆく事は今に生きる者の使命である。学校ではこういう「歴史の手触り」を、不幸にしてあまり教えてくれないようだ。私もまたこういった映画のシーンから始めてその手触りを感じとることが出来た。
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