お台場に仮設された美術館。
ノマディック、つまり遊牧するという意味を持つのは、それが世界各地で仮設の建物を使って開催されてきたからである。
どこの国でも手に入る画一的な材料ということで、コンテナを積み上げて壁をつくり、その上に屋根渡し、紙のパイプを立てた柱で支えている。単純な構造で、内部も見たままの高さのある空間。パルプの円柱がずらっと並び、セピア色の意味ありげな写真が並んでいるシーンは、薄暗い中世の教会に入った感覚に似ていた。
http://www.ashesandsnow.org/jp/index.php主題を簡単にいうと、グレゴリー・コルベールというカナダ出身の写真家が製作した野生の動物と人間の自然な交流、である。
くじら、オランウータン、チーター(ピューマ?)、などいろいろな動物と人間が心を通わせている(様に見える)瞬間。セピア色の静かな画面はなかなか味わい深い。
会場ではそういった写真の他に、かなり長いビデオも上映されていた。主題は同じで、写真が撮られた時間を写真よりも長く見せているという感じである。
一枚の写真ではなく、少し長い時間スローモーションのこういった世界をみせられていると、動物と人間の違いがはっきりみえてくる。
つまり、動物は演技をしない。
人間は、たとえ発展途上国の少年僧といっても、演技をしてしまうのである。「静かに目をつぶって動かない」事も演技のうちだ。
顔を半分水に漬けたままでじっとしているというのは、動物には自然でも人間にとっては不自然である。それは「誰かの指示」があっての演出である。グレゴリー・コルベール自身が行っている時にそれは能動的な行為であっても、少年僧がそれをする時は演技になってしまう。
動物達の完全な自然さ自由さの前では、その人間の演技が致命的な違和感となる。一枚の写真ではそれ程気にならないのだがビデオとして時間の流れを見せられるとそこがとても気になってきてしまった。
ただビデオで見せる事で特に感じられるのは「感触」。
オランウータンの子供がが人間の女性の手を強く握ってひっぱっていこうとするシーン。鳥の羽が肌をこすっていく時の感触。こういうのは写真で伝えきれないかもしれない。