シャンゼリゼ中ほど、グラン・パレのすぐ近くにパリを開放したド・ゴール将軍が颯爽と歩いている銅像がある。
「パリは踏みにじられた、パリは打ちのめされた、パリは苦しめられた。しかし、パリは自由になった。」と台座に言葉が刻まれている。イギリスに亡命し、歓迎されない客であった彼はただの准将であった。彼が「自由フランス」の代表になろうとは本人も思っていなかった。しかしより立場のある者たちがナチスやビシー政府になびいていくのを目にして自らが動く事を決意したのであった。
その像を前に記念撮影する彼は、ナチスドイツによる占領時代がどんなものだったのかを知っているのだろう。ド・ゴールは大統領というよりもやはり解放将軍としてフランスの歴史上ひとつのアイコンとなっている。
一度だけ某新聞に彼のプライベートな事が紹介されて興味を持った。彼の墓はロレーヌにあり、婦人と精神障害があり21歳で早世した次女と共に眠っているのだそうだ。巨大なロレーヌ十字が丘に建てられている。ド・ゴールがひきいた「自由フランス」のシンボルにして、ジャンヌ・ダルクも使ったものだ。
NATO脱退など戦後も強気で強面な印象のあるド・ゴールに、そんな家族があった事は知らなかった。アルザス、ロレーヌを行く《手造りの旅》の時には行程に入れてみたいと思っている。