AZアリタリア航空でローマ直行。その後バスで1時間半ナポリ方向へ走りテラチーナという古代から栄えた町で泊まる行程。
午後7時ごろローマ郊外の空港を出発。古代アッピア街道と同じ路線を走る国道7号線がまっすぐ海のほうへ向かい、8時半過ぎにテラチーナ(古代名タッラキーナ)の町の標識が見えてくる。市内に入るとすぐ左側に黒々とした岩山が迫っている。その斜面に旧市街の町が広がっているのが見えてわくわくしてくる。ほどなく海に面した小さな港に着くとそこにはライトアップされたこの崖が出現した。ホテルは港のすぐ近くである。左手上部に少し見えているライトアップされたアーチは古代の神殿の基礎部分。
古代アッピア街道が港と合流する重要な場所であったタッラキーナ。アッピア街道自体は紀元前312年にアッピウスが建設していたが、ここでは山を越える事になり不便であった。そこで五賢帝のひとりトライアヌス帝は障害物の山を削るというローマ人的な発想をして、効率的な修正をした。
このライトアップされた崖はその時道を通す為に削ったものである。紀元二世紀始めに削りとる工事をした際刻まれた、高さを示す数字の跡が、現在でもはっきり読み取れる。
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「ローマ人の物語」第9巻の130ページで、著者の塩野さんはこう書かれれている。
“トライアヌスは、海ぎわまで迫る崖のおかげで迂回を強いられていたアッピア街道を、テラチーナの山腹を削り取ることで短縮する。崖の頂上から垂直に大きく削り落とされた跡が今でもはっきり残るその場所に立つと、感心するよりも何よりも、またやりましたね、とでも言うしかない気分になる”
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南イタリアの「手造りの旅」を考えた時、はじめは乗継でバーリから入ることも考えたのだが、これだとどうしても夜中になってしまう。日本から直行便で到着出来るローマでスタートする方が格段に快適。そしてその日のうちに出来るだけカプリへ近づく為に中間地点にあるテラチーナという街を宿泊地に選んだのである。
このあたりへはフォルミアという街に十五年以上前に行ったきりである。土地勘があったわけではない。しかし、資料を読み込んでいくうちに必ず一見に値する遺跡や風景がある事に確信を持っていた。ガイドブックという恣意的に選抜された情報ではなく、自分で選び取った情報によって自分が見ることを選んだものは、自分にとって大きな価値を持ってくる。