アルベロベッロから海辺の町バーリを経由し、城下町アンドリアの町を過ぎると遠く四角いシルエットが見えてきた。標高540m、ムルジェ高原の高台に建つ中世の城、カステル・デル・モンテ。
天気が良いので最初は霞んでいたけれど、近づくにつれてその八角形の均整の取れた姿がはっきりしてきた。南イタリアならずイタリア全土の建築の中でも幾何学的な美しい形とその実用的でない城郭である謎により魅力を放っている。イタリアの1セント硬貨にも刻まれている。
山を登りバスを降り、駐車場からの上り坂を歩いていくと、青空にくっきりと八角形の城が幾何学的に見えてくる。たいして大きくはないけれどこんなレゴで造ったような城は他にはい。
まず、城を防御する為に不可欠な掘がない。壁に銃眼は一応あるが、内部に入ってみるとあまりに細すぎて人間がそこから矢を射る事は出来ない。※この城が作られた13世紀にはまだ鉄砲というものは存在しない。
階段も下から左回りに上昇している。ということは、登っていく攻め手が右手で剣を振るう事が出来る構造になっているという事。防御には圧倒的に不向きである。諸所の構造的考察によりこれは戦闘用の城ではない事は明らかなのだ。
しかし、だからといって人が住まなかったわけではないようだ。暖炉がある部屋には冷たい壁に発生する結露を受け止めて水場に集める工夫がみられる。この丘の上の城で生活するのに、水の確保はたいへん重要だったのだろう。城全体に水を上手に集める工夫がされている。
フェデリコ二世、南イタリアを支配したこのドイツ人の王は十字軍にも遠征し、オリエントでたくさんの建築や美術を見てきた。ラベンナでは東ローマ皇帝の残した素晴らしいモザイクも見た。自分自身も何か自分を表現したものを後世に残したいと思ったのかもしれない。
生涯に二百以上の城を造ったり修復したりしたフェデリコ。この城を作った時には46歳頃と推察される。この時代にはすでに晩年といっていい年齢だっただろう。実際彼はこのあと十年の余生しか残されていなかった。
自分の中にそれまで蓄積してきた、美、科学、占星術、建築、それらのものを結集した建物を趣味で造らせたのかもしれない。実戦用の城でないことは、むしろこの城の魅力であり、フェデリコの人となりを現代に最も伝えている建築だといわれる所以であろう。