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山頭火の「ほろほろ」
2007-02-28
松山に行くにあたり、正岡子規の記念館に「山頭火の資料を閲覧したい」と連絡しておいて下さったという。

これはたいへんと「一夜漬け」程度の資料を読んだだけだったが、結果的にこれがたいへん役にたった。

応対してくれた学芸員の方が「あ、きのうお電話いただいた方ですね。どのような資料をお探しでしょうか?」といきなり。きのう読んでいた中で興味をひいた日記の記載を思い出したので「泊まった宿の料金と評価を書き込んでいるという日記がありますでしょうか?」と訊くと「ああ、かなりぼろぼろで、文字も判読しにくいのですが、460枚ほどありますよ」「ぜひ、それを。あと、上田さんの(相手が名札をしていたので名前で呼んでみました)お勧めいただけるものを」というやりとりになった。

図書室に通され、しばらく待たされた。書架が5つ6つの小さな部屋で、「受験勉強厳禁」とか書かれている。部屋には他に誰もいない。15分ほど待たされて、閲覧室へ。手押し車に何本かの軸や箱が乗っていた。

「いろいろ迷ったんですが、5点ほどもってきました」こうして話しながら一本目の軸を閲覧用の壁にかけてくれる。すっと下まで画面が開くと、一番下に石榴の描かれている。「こころすなほに・・・われて・・・」と書かれている。文字の崩し方は自己流なので、判読するのはかなりむずかしい。しかし、心素直というのが心底を割るというのと石榴がわれているのをかけているというのがわかる。
「絵が描かれているのはめずらしいそうですよ」とのこと。
しかし、充分に「描けている」。正岡子規も洒脱な漫画のような絵をたくさん残していたが、この時代のそれなりのクラスの人は筆に親しむ事があたりまえだったのだろう。

二本目の軸は文字のみ。この写真のものです。
実に実に印象的な筆跡で描かれていた。
「ほろほろ酔うて 木の葉ちる」

★訂正!★この句が松山で詠まれた時のエピソードを書いた本を読みました。「ほろほろ酔うて 木の葉ふる」が正しいです。

活字でもしこの句を読んでいたとしたら、どう感じただろう。キーボードで打たれたこの句からは想像できないような情緒が、筆跡から伝わってくる。

筆跡が「ほろほろ」と「木の葉・・・」で全然ちがっている。
筆を返して使っている、意識的に。そして、多分「ほろほろ酔うて」まで書いた後に、いちど墨をつけている。もしかしたら、この間に一杯飲んだかもしれない(笑)そういった時間の流れさえ感じられるではないか。

「ほろほろ」という言葉は、あとから見た日記の中にも何度か使われていて、山頭火の好きな語感だったのだろうと感じる。だれでもそういう気に入った言葉の響きがあるものだ。

次に開けてくれたのは短冊。「多分これが一番有名な句では」と言われて、出てきたのは、やはり「わけいっても わけいっても 青い山」でした。小さめの、とてもとても粗末な感じのする短冊。
「求められると、自分の気に入っていた句をよく書いていたそうです。酒代や宿代にこういうのを置いていったりもした」なるほどね。だからありあわせのものに書く事にもなったのだろうか。

墨の濃淡がとてもしっかりしてい。「青い山」だけ改行されていて、頭の「青」の文字の上のところだけがとても濃く、でっぷりと黒い。この濃さがあるので全体のバランスがうまく取れる構図になっている。これもまたキーボードでは再現不可能。

ひとつ木箱が開けられる。
紐を解き、布を四方にひろげて出てきたのは鉄鉢だった。山頭火が最後まで使っていた托鉢の鉢。箱には「山頭火遺鉢」と墨書されていた。学芸員の上田さんが手にとって持ち上げると、それは見た目よりもよほど軽いらしい様子がみてとれた。表面がぼこぼことした、山頭火なのか一旬なのか、何度も磨いた形跡がにじんでる。

「これは、一旬さんが持っておられたんでしょうねぇ」とご一緒した奥様の方が言われる。蓋の裏を返すと確かに「一旬」と書かれていた。この高橋一旬というひとは、当時高松大学で教えていた方で、この人自身が句も読みそして何よりも、儀に厚い徳の人であった。彼の元で山頭火は最後の一年を過ごし、最期を看取られた。この人との出会いが山頭火の最後の一年を平穏で幸せなものにしたと思われる。

最後に青い封筒から慎重に取り出されたのが「行乞記」。熊本を放浪していた頃の日記だ。小ぶり、B5サイズ程度ので大学ノートに万年筆で記されている。文字自体はなかなか判読しにくい。何が書かれているのか、一文字ひともじ解読していかなくてはならない。けれども、ノートの線からはほとんどはみ出さず、几帳面さが出ている。細かな情景が短い端的な表現で記されている。

たとえば
「雪空 かゆいところを掻く」
「雪空 いつまでもおんなのはなしで(隣室の青年達)」
「雪空 葱一把」
この三つの句がページになにげなく並んでいる。

安宿。雪が積もっていて托鉢にでない。
寒い部屋。布団を半分かぶってのらくらしている。
尻でもかゆくなって掻くのか。
となりとふすま一枚で、女の話でもりあがる隣室の青年達の声が聞こえてくる。
二階の手すり越し。
半分雪がかぶさった葱がそとに置かれているのがみえる。

こんな風景が浮かんでくるようではないか。

**
自分でこれらの資料に触れることはできない。
博物館法の規定で学芸員でなくては触れないのだそうだ。
やはり、学芸員資格はとっておかなくてはいけないなぁ、と思う。
はじめてみようか?⇒自分。

学芸員の上田さんは、多分ここまで読んできた皆さんがうける印象よりはずっと若い。見た目30歳ぐらいである。実際、こちらに転職してきて3年ほどで、以前は東京の大学図書館にいたんだそうだ。
真面目にこつこつって感じの好感が持てる人であった。

こういった品々を写真に撮影するには「資料特別利用許可書」を申請しなくてはならない。そして閲覧事態には100円、そして撮影には一点に付き2210円の料金がかかるそうだ。博物館法の規定になる。へえぇ〜、そんな事始めて知りました。

結局二点撮影する事にした。
日記とこの「ほろほろ酔って・・・」の軸である。
日記の方は40枚あるのだが、それを一ページだけ撮影しても40ページ全て撮影しても同じ料金になる。なんだかバランスの取れない料金設定ではある。

この日11時ちょうどに受付に話をして、閲覧を終了したのが12:20分。たった一時間少しだったが、濃縮された時間であった。それまで興味はあっても、テレビドラマかガラス越しの展示を見ているような印象の強かった山頭火が、いっきに現実に息をしていた近い人として感じられるようになった。



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