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松山との縁、山頭火
2007-02-26
二十年ほど前に日本国内の旅に同行していた時代があった。
一年びっしり。同じ月に三度も金沢に行ったりしていた。
北陸や山陰もよく行った。
九州では日本のバスガイドさんのすごさに圧倒されていったものだ。
でも、四国。行ってないわけでないが松山に行く機会はなかった。
**
3月に催行する《手作り》南イタリア、そして4月に催行する《アメリカ西部セドナ+グランドサークル》の旅。これらそれぞれに松山から参加していただく方が出てきた。すごい偶然。《手作り》に参加希望の方については、事前にお会いしてしっかりお話しするのを原則としている。普通のツアーとは違って「申し込み、はいOK」というわけではありません。
希望していただく方にお会いして、よく理解していただいたうえで決定していただくことが、充実した旅への第一歩であるから。お会いしてから、逆にこちらから「ちょっとこの行程には難しいと思いますよ」とお話しすることもある。
今回、そういう訳で松山に行く事にした。
***
また、もうひとつ私を松山に引き寄せる磁力があった。
それは1999年に読んだある機内誌。
種田山頭火という俳人についての話が載せられていた。
彼は裕福な出自であったが11歳の時に母が井戸に飛び込んで自殺。父親と始めた酒屋も35歳の時に倒産。自らも自殺未遂の後仏門に入り、妻子と分かれて放浪。乞食坊主の風体ながら、たくさんの俳句をつくった。
有名な句は
「わけいっても わけいってもなお 青い山」。
彼が最後の一年を過ごしたのが松山。温泉好きで道後温泉から近いところに「一草庵」という庵を構えた。支えてくれる高橋一旬という友人もあって、最後には念願だったコロリ往生で逝ったのだった。
いわば、破滅型の生き方。
しかし、残された言葉は、私の興味をひくナニモノかがある気がしていた。特に旅する彼の筆から、魅力ある言葉が出てきている。それは自分自身が旅を生きているからかもしれない。
その機内誌は切り取ってずっと手元においていた。山頭火の記事も新聞で見つけると切り抜いていた。今回、松山行きが決まった時にまずそれを引っ張り出してきたのだった。
****
さて、松山でどんなものに出会えるのか。自分はそれらをどれだけ吸収する事ができるのか。なにせ「旅は持っていったものしか、持って帰れない」のである。もう時間がない、なんて言い訳しないで、できるだけの準備をして行こう。今回の松山との縁をしっかり生かせるようにしたい。
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