「ロゼッタストーン解読」新潮社
エジプトの神聖文字ヒエログリフを解読したシャンポリオンについての本を読む。その本筋に付随するいろいろなエピソードに興味が尽きない。
たとえば、パリに行った誰もが目にしているコンコルド広場のオベリスク。これを選んだのもシャンポリオンだった。このパリのオベリスクは、ローマ時代に移動されたものまでも含めて、他のどの国に贈られた、どのオベリスクよりも、素晴らしいのである。
19世紀前半当時のエジプトの支配者モハメド・アリは、通称オベリスク外交と呼ばれるほど欧米諸国にオベリスクをプレゼントしている。しかし、実際にどんなオベリスクを贈るのかを、贈られる方が選らんだ事はないだろう。ローマ皇帝だってそうだ。エジプトはあまりに遠いのである。その例外がこのシャンポリオンが選んだパリのオベリスクだ。
シャンポリオンは、実際に目の前にオベリスクを見てから、手紙にこう書いた。
「もし(フランス)政府がパリにオベリスクを欲しいのであれば、ルクソールのもの(入り口から見て右側のもの)を手に入れるのが、国家的名誉にかなっていると思います。高さ20メートルのこれ以上美しいものはないと思われるようなモノリス(一枚石)。見事な出来栄えで、保持損状態も最高です。」
「右側のオベリスクの東の面の端と、左側のオベリスクの西側の面は記録できませんでした。というのは、そうする為には泥で作られた家を何軒か取り壊し、貧しい農民達を宿無しにしなければならないからです。」
この時オべりスクがどのような状態だったのかも伝わってくる。左側のオベリスクはこのように現在でもオリジナルの場所に立ち続けている。
実際にこのオベリスクがパリに到着したのは1836年。シャンポリオンがわずか41歳で早世してから四年後の事だった。