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「現代日本の社会不安は平和の代償」なのか?
2007-01-03
ローマ人の物語全15巻を脱稿した塩野七生さんと五木寛之氏がテレビで対談していた。その中で塩野さんが言っていたひとつが表題の言葉である。

「今のパレスチナやイラクで、日本のような子殺しやいじめ、自殺がおきるでしょうか?私は今の日本で起きていることは、平和の代償じゃないかと思うんです」と語っていたのだ。

確かに、日夜テロにおびえながら暮らすパレスチナやイラクのような場所では、今日本で起きているような事件はあまりおきないだろう。自分の家族が徴集され、生きて帰ってくることを祈っているような環境が当たり前に存在する社会では仲たがいする余裕はない。それは、敵が居る時には自分達の中に抱えている不和を忘れて当たっていかないと乗り切ることが出来ないという事の結果である。

平和であるという事で、自分達が内部に抱える矛盾がクローズアップされてしまい争いの種になるという傾向は確かにあるが、それが子殺しやいじめに即つながる分けではない。「平和であることの代償である」と断じるのは直裁すぎるのではないだろうか。


今の日本の社会不安の理由について、私は別の理由を提示したい。それは今の日本が「死」を身近に感じる事のできない社会であるという事。勘違いしてはいけない。死は必ずしも恐怖の対象ではない。「死」を身近に感じるのはなにも戦いだけではないからだ。

最近毎年訪れているネパールにおいて、「死」は自分達の周辺に隠されずに存在している。川原の火葬場=ガートは、我々観光客も含めた衆目の中で、人が灰塵に帰していく。日夜人々が祈る寺院の境内では、たくさんの生贄の動物が首を切られる。日々買い物する肉はパックになど入っていない。肉屋には動物の体がそのまま置かれている。チベット文化圏では人々の暮らす村のすぐ上の崖に鳥葬の場が見えている。

こういうカタチで「死」がいつも身近にある社会では、今の日本のような社会不安は起こらないのではないだろうか。自分が食物を口にするという事は、必ずや何かの生き物を犠牲にしている証であると日々気付く事。それがなくなってしまったことの代償が、今の日本の社会不安のひとつの原因であると考える。

私も含めた今の日本人は贅沢に慣らされすぎてきた。

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