「
世界の写真
」では
国別に小松の撮影した写真をお見せしています。
「
ツアコンモバイル通信
」は
日本旅行HP内に掲載した
お話を国毎にまとめました。
《
手作りの旅
》は
「
こま通信
」企画の旅です。
こま通信のお問い合わせは
komatsusin2@gmail.com
までお願いします
ユーザ名:
パスワード:
パスワード紛失
新規登録
★ こま通信日記 ★
view List
view Box
Image Gallery
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
年
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
2006 年 11 月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
Archives
2014年11月
2014年09月
2014年08月
all
Search
フェルナンド・ペソアの言葉
2006-11-03
文化の日
19世紀から20世紀にかけて生きたこのポルトガルの詩人の事は何も知らなかった。
「私達はどんな事でも想像できる。何も知らないことについては。」という、彼の書いた一行を知って気になっている。この言葉に触発されて、自分が行った事もないリスボンの町を小説の舞台にしたという吉田修一氏もすごい。
そうか、人間は自分が見たものや行ったことのある場所については限定的な想像しか働かせる事は出来ないのだ。
実際に行った事もない国、見たこともない場所というのは、なにかの言葉を鍵にして自分の中でだんだんと発酵していき、いつのまにか自分の中に強烈なイメージを造り上げている事がある。
たとえそれが現実のその町や事物と全く関係ないものに変容してしまっていても、自分の中に出来たイメージというのはある種の真実として残る。そう、現実には決して存在しない真実として。
そこまで考えてきて自分の中にもそんな言葉があるのに思い当たった。「シラス台地」という言葉。小学校の日本地理で鹿児島あたりの地質を表す言葉として習った。
これが、なぜか私のなかでずっと拡大してしまい、鹿児島というとなにか白くてぼろぼろ崩れていきそうな茫漠としたイメージを持っていた。
これは自分大学時代にバイクで初めて鹿児島に行くまで続く、私のなかの鹿児島のイメージとなっていた。実際に「シラス台地」がどんなものかもよく知らなかったのに。
鹿児島が自分イメージしていた幻の「シラス台地」のようなところとは全く違う事を知った今となっても、なんとなく自分のイメージする「シラス台地」を探している自分が取り残されている。
Back
予定なし
(2014-9-17)
(2014-9-17)
(2014-8-17)
(2014-8-14)
(2014-8-14)