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ヴィンチ村へ
2006-10-25
朝、シエナのホテルを出発しサン・ジミニャーノへ。
ここも通常ツアーだと1時間程度しか時間がない場所だが、今日はたっぷり10時半前について13時半まで滞在。

ライセンスガイドのYさんに解説をお願いして、参事会教会内部の素晴らしいフレスコ画群、ポポロ宮殿の美術館も入る。美術館からグロッサの塔へも登る事ができる。

当時の塔内部に階段はなく、安全の為にその都度はしごで上り下りしていたのだそうな。現在内部には鉄製の階段がとりつけられていて登りやすい。足元をすかして下が見えるのがちょっとこわめだけれど。

昼食はカフェで適当に済ませて13時半に駐車場よりバス乗車。
午後は今回はじめて入れてみたヴィンチ村である。サン・ジミニャーノからは1時間15分ほどの予定。

あの天才レオナルドの出身地として誰もが興味を持つ場所だから行程に入れてみたが、実のところ私は始めて訪れる。ドライバーは地元の運転手なので当然道を知っている…とおもいきや、どうやら彼もはじめてらしい。ま、そんなもんです。

ずいぶん長く田舎道を走り、鉄道の踏み切りで足止めをくったりしながら、ようやくこの写真のように〔VINCI〕という看板が見えてきた。予め読んだ本によると村には13世紀あたりからの城があるという。写真でも遠くにみえる四角い石造りのものがそれであった。

ヴィンチ村は予想どおりの小さな村だった。レオナルドがこんなに有名にならなければ観光地になどならなかっただろう場所である。

三本ほどしかない村のメインストリート。バスがその一番外側に止まると、ガイドさんが待っていてくれた。一緒に村へ上がっていく。城壁の上にはレオナルドの有名な人体図が飾られている。

遠くから見えた塔の城は現在レオナルドの博物館になっていた。60年ほど前にはじめてここでレオナルドの展覧会がひらかれ、そのためにたくさん作られた模型がそのまま寄贈されてはじまったのだそうだ。

説明していただいてとても印象的だったのは、レオナルドが17歳でフィレンツェに出て行ったときのエピソード。

当時フィレンツェの大聖堂にようやく丸屋根がかかり、頂上のランタンと呼ばれる部分をとりつける作業が最終段階に達していた。
レオナルドが生まれるより前に死去していたブルネレスキの設計による世界一美しいクーポラ〔私見)。これの上に当時としては最高の技術をつかった工作機械で石が正確に積み上げられていく様は、きっとレオナルドに大きな影響を与えたのだと思う。誰でもティーンエイジにうけた影響を一生引きずって生きていくものなのだ。

この時の機械の模型があったのだが、ただ見ていけば「ふうん?」で終わってしまうものだっただろう。今日は英語ながらガイドさんをお願いして本当に良かった。



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