品川の原美術館で開催している束芋の展覧会に行ってきた。「束芋」、これは作家の芸名である。それもまだ三十そこそこの女性。就職活動に失敗し続けていた時、卒業制作した「にっぽんの台所」というアニメインスタレーションが賞をとり、この世界での活動に入ったという人である。
朝日新聞の連載小説「悪人」の挿絵を描いている人といったほうが分かりやすいだろうか。
「新・日曜美術館」の展覧会紹介で、2,3分だけ紹介していたのが印象的だったので、来てみた。
今日水曜日は20時まで開館しているというので、17時ごろすいているのを期待していった。品川駅から徒歩だと15分以上。高級住宅街の一角にある。こんなところ、そんなに混むはずないよね、と思いつつ、前庭を通って建物に入る。
料金を払った後、すぐ前にある黒いカーテンの向こうへむかって人が並んでいるのが目にはいった。「案外人が多いんだなぁ」と感じた。(けれど、それは予兆にすぎなかった。30分もすぎるころには、小さなチケット売り場には長い列が出来ていた。)
作品は一点を見るのに結構時間がかかる。ビデオブース式になっていて、一回に20人程度しか見られないのである。そこで上映されるのは、奇妙な毒のある、グロテスクな味わいを持ったアニメショーンで、他で見たことのないようなものだった。
私はまだすいているうちに、先ほどの黒いカーテンの向こう「真夜中の海」を見た。それから「にっぽんの台所」「公衆便女」も比較的並ばないで見られた。
それは個人的な目で再構築された「社会のゆがみ」なのかもしれない。味わうには苦い。「こりゃ、こんなに押し合いへし合いして見るものじゃない」と私は思った。
製作目的が、「美しさを感じさせよう」とか、「生き返るような喜びをあたえよう」とか、そういうものではないのだ。現代美術で私が好むのは、造形でも映像でも、文章でも、演劇でも、そこに「美しさ」や「魂を洗ってくれる感覚」を与えてくれるもの。
ここでは、それと正反対にあたる方法がとられているように感じた。
それでも、人間には自らの中にある「醜」や「不安」を、見て理解してみたいという気持ちがある。だから彼女の作品は人から評価されているのだろう。
見ると「はっと」する。「ぎょっと」する。自分の中にも確かにある病巣を見せられたようで。だいたい心に何の憂いも抱えていないような奴には、どんな世界でもよい仕事などは絶対出来ないもんである。