モーション・ブルー横浜にて。
キーボードの魔術師とよばれるジョー・ザビヌルのステージを見た。
始まる前に読んでいた雑誌ではじめて彼の経歴というものを意識した。そう、まず驚いたのは彼が1932年生まれだという事。
なあんと御歳73才ということですか、我々の親世代。第二次戦前産まれという事です。そんな事今まで考えた事もなかった。
オーストリア人の彼は、実際戦後の少年期にはたいへんな生活を送っていた時期もあるのだそうな。敗戦でソ連に占領されていたウィーンの町でティーンエイジを過ごしていたのだ。
渡米後、彼はマイルス・デイビスグループに1968年に加わる。電気化されたマイルスサウンドを支えたひとりである。その後組んだウェザー・リポートというグループでジャコ・パストリアス(ベース奏者)を見出した人として、我々世代には有名である。
こういう長い経歴をみると年齢に納得もするが、元気なじいちゃん?いや、「じいちゃん」なんて、とっても言えない思えない。若々しくカッコいいひとでした。
18:30.
ステージが始まってすぐに思ったのは。基本的に彼が出している音は15年ほど前と何にも変わっていないという事。そう、15年ぐらい前になるけれど、NYCで夜、ひとりでブルー・ノートのザビヌルのライブに行った事があるのです。(この辺の話は長くなるので書きませんが)
ザビヌルはすごいアドリブ演奏で観客を圧倒するというようなタイプの人ではない。今回もそうだった。
演奏のすごさという部分では、一緒にやっていたメンバーの方が断然目立つ場面が多かった。
●アジズ・シャーマウィ(パーカッション、ボーカル)
彼はモロッコのマラケシュ出身だそうな。3弦の民族楽器をひきながら歌う曲では、西アフリカの黄色い砂をが見えてきそうであった。
●アレグレ・コレア(ギター)が早口のフランス語とスキャットでギター一本で歌う曲では●ジョルジ・ベゼーハ(パーカッション、ブラジル出身)が、超絶のタンバリン演奏で絡んできた。我々のよくみるタンバリンひとつでも、あそこまでの表現が出来るんだ、とぶっとぶ。
こういう曲をやっている時に、ザビヌル自身はあまり絡んでこない。また、ザビヌルがいなくても充分に成立する曲である。気がつけば、「あ、ザビヌルいたんだねー」という気になる程だ。
ザビヌル自身が彼らのこういった部分を評価しているというのが良く分かった。つまり「楽器がうまい」とか「センスがよい」とか、そういった部分ではもうザビヌルのような人を納得させられないのだ。
「血」から出てくる音。「真似の出来ない音」または「真似する意味を感じさせない音」に価値がある。そう考えると、今の日本人の上手なJAZZプレイヤーの誰を持ってきても、ザビヌルの求めるものは出てこないのではないだろうか。
むしろ三味線の吉田兄弟とか、河内音頭の菊水丸とか、沖縄の民族リズムを主体にやっている集団とか、そういう我々の血にねざした音楽でないと、ザビヌルが一緒にやりたいとは思わないのではないか。
我々ひとりひとりが、音楽であろうと文章であろうと、自分の持っている固有のなにものかで表現をするしかないという真理をおもい知らせてくれる。
さて、自分しか持ち得ないものとは、何だ?
※追伸
●リンレイ・マルト(ベース)もちろん、すばらしく上手く、ビートの切れがある。ザビヌルの求めるビートをドラム以上に支えている。ソロも「ジャコまね」だけでないオリジナリティがあると思えた。