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ドミニカ移民ニュースによせて
2006-07-28
かつてドミニカへ移民した日本人が日本政府からの謝罪を受け和解したというニュース。

「今から半世紀前」に集団移住したという話をきいて「そんなに前の事じゃないんだ」と感じた。調べてみると1956年(昭和31年)から1959年(昭和34年)の間に1300人の日本人が移住したとある。

我々は中南米移民をなんでも一緒くたにして考えがちだが、ぺルーへの移民とこのドミニカへの移民には時間的に大きな隔たりがある。

ペルー移民は1899年から1923年の間に行われた。つまり、戦前の日本から。一方ドミニカへの移民が始まったのは戦後十年を経た日本から。ペルーへの移民が廃止になってから四半世紀も経ってからとなる。

ペルー移民制度の教訓は生かされなかったという事だろうか。それとも、ペルー移民というのは、ある程度成功した事例であると認識されていたということだろうか。

実際に「成功例」もあったのだろうけれど、移民募集にそれだけ人が集まったという事は、日本が貧しかったという裏づけである。

世界屈指の豊かな国になった日本に生きる自分には、移民を考えざるを得ないほど貧しい日本をイメージする事は難しい。

しかし、よく考えてみると、私自身がこのドミニカ移民の子供として生まれていてもおかしくない世代なのである。「どのぐらい他者の人生をイメージする事ができるのか」、これが社会性、ひいていは国際性というものなのだと思う。
****

ドミニカの首都サント・ドミンゴには、我々観光関係の視点からするとコロンブスの入植地だったという歴史的おもしろさがある。コロンブスの長男ディエゴの墓と(今はセビリア大聖堂に移されたが)コロンブス本人の墓もあった。

出来ればニュースの片隅にでも、観光国ドミニカのもつ面白さを伝えてくれると良いのだけれど。ドミニカ移民というだけでは、あまりに暗く・遠いイメージばかりが感じられてしまうから。

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