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本田竹広死去〜ネイティブ・サンの思い出
2006-01-29
旧聞を繰っていて、先日ジャズピアニストの本田竹広が亡くなった事を知った。まだ60歳だった。
思い出すのは、大学入学前の1979年夏、琵琶湖バレースキー場を利用したオールナイトJAZZフェスティバル。
ビートルズから聴き始め、クラプトン、ブルース、そしてリトナーやカールトンなどでフィージョンにハマっていた私は、当時日の出の勢いのカシオペアが出演するというので、見に行ったようなものだった。
その徹夜野外コンサートのオープニングで登場したのが、本田竹広と峰康介率いるネイティブ・サンである。JAZZの深遠など全然知らなかった頭に、いきなりガツンと食らわせてくれた。
(そう、彼らの演奏はビートはフュージョン的だが、明らかにJAZZである)
あのオープニングのクラビネットの響きによって、自分にとっての新しい音楽の世界の扉が開かれていったような気がしている。当時結成して一年も経っていないネイティブ・サンは、後年の少しマンネリ気味の演奏ではなく、それこそ火花の散るようなセッション的な緊迫感のある演奏をくりひろげていた。
結果的にその夜出演したミュージシャンの中で印象に残ったのは、カシオペアでは全然なかった。(もちろん彼らの演奏も良かったのですが、いかんせん他がすごすぎた)
地味ながらとても素晴らしく感動したのが今田勝のピアノ。彼がいつも最後に演奏するという「自由の賛歌」が印象的だった。
当時元気だった世良譲がムーングローを弾いたのもよかったなぁ。
ぶっ飛んだのは午前3時過ぎのみんな眠たくなった頃に登場した山下洋輔トリオ。当時坂田明、小山章太という鉄壁のバックとともに別世界にとばされてしまった。
当時私は、フリー・ジャズというものを全く知らなかったのだから無理もないか(笑)。
あれからすでに四半世紀以上が経つ。
ネイティブ・サンは9年の活動を終え解散した。
本田竹広は、病を得、死の淵からカムバック。
20年後のノスタルジックなネイティブ・サンの再結成も果たした。
(その直後第一期のベースだった川端氏が亡くなっている)
彼自身も精力的に演奏を再開しているときいていたのに。。。
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