写真はカウトケイノとアルタの途中にあるマージ村のよろず屋さんに買い物に来ていたご婦人。
彼女は昔風のサーメの帽子をかぶっていた。
昔からの習慣をそのまま変えずにいるだけなのだろう。言葉も仲間うちならば、サーメ語でやっていける程度に使われている。
しかし、こういう世代の人々が退場した後で、サーメ人としてアイデンティティを保てるものは何なのだろう。
民族衣装というのは決して効率的な服ではない。寒さを防ぐ為の帽子ならば、軽くて防水もしっかりした品が、もっと安価に買える。トナカイの革の靴をはいたおじさんもそばにいたけれど、現代の履きやすいスノーシューズの方がそれは快適だ。
誰も好き好んで不自由な格好をしたくはない。
だから世界で一番効率的な民族衣装である「洋服」が、今世界を席捲しているのだろう。
サーメ人としてのアイデンティティを最後まで証明できるもの。
それはサーメ語という「言葉」でしかない。
しかし、そういった少数でしか使われていない言葉に誇りを持って生きていく事は、かなり難しいのが現代である。
今回、ノルウエー北極圏では、まだ少数民族サーメとして生きている人が少なからず生きている事を目の当たりにした。