オスマントルコから共和制トルコへの激動期。
私は始め、現代のトルコの視点からしか、この時期の事を読んでこなかった。それが最も簡単に手に入れることの出来る史観だからである。ガイドブック的な視点を深めていっただけ、ともいえるだろう。
しかし、ガリポリ上陸作戦についてのイギリス側からの資料や、追放されたオスマン王家の末裔の書いた本を読むようになってから、同じ出来事が全く違う解釈をされていることを知った。ひとつの事実がいろいろな真実の側面を持つ事に気づいた。
歴史教科書問題は根本的な解決など不可能な事なのかもしれない。
事実というのはたくさんの真実で構成された多面体である。
オスマントルコ最後の皇帝が国を出た事実を、「追放された」とするか、「自主亡命した」とするのか、真実は見る人によって違うだろう。
インドのムガール帝が所有していたコヒヌールダイヤの所有権が移った事実を、「献上した」とするか、「強奪された」と主張するか、真実はどちら側にもあるだろう。
◎コヒヌールについては⇒
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2005/050301/index.htmこのように、歴史的「事実」とされている事でさえも、見る人が違えば異なった「真実」して映るのだと知るべきである。