私が始めてトルコに来るときに読んできた本が、今もって私のトルコ感を支配し続けている。
大島直正著「ケマル・パシャ伝」
今は絶版になってしまったが、アタチュルクというひとが何ゆえこれほどトルコで崇拝の対象になっているのかがよくわかる本である。
そして、その功績を知れば知るほど、死後半世紀を経てなお、彼の功績が今のトルコを支えている事実に気が付く。
1915年。アタチュルクがその名前をまだムスタファ・ケマルと呼ばれていた30代半ばの頃、救国の英雄として名を上げることになったのがここガリポリ半島(トルコ語ではゲリボル)である。
彼は司令官でありながら、最前線で獅子奮迅の活躍をし、イギリスなどの連合軍の海峡通過を許さなかった。
一方、攻め手のイギリス軍は、その最前線に遠くオーストラリアやNZランドの兵士たちを配していた。4月25日の未明、このアリ・ブルヌ海岸に上陸しようとしたアンザック(オーストラリア・NZランド兵)軍は、嵐のような機銃掃射をうけて浜辺に釘付けになる。
海はその日真っ赤に染まっていたのが遠くからでも見られたそうだ。
季節はちょうど今と同じ頃。
きっとあの日にも我々が見ているような赤い赤いポピーがたくさん咲いていたに違いない。NZランドのオークランド博物館最上階のアンザック兵に対するメモリアル記念碑に、なぜ赤いポピーがたくさんつけられていたのか、今日分かった。。。