今朝は、カンボジアの東南部、ベトナム国境に近いスワイ・リエンの町のホテルで目を覚ました。
朝食に行く前に、JAMS(Japan Main Action Service)の事務所へいく。昨夜の思わぬ出会いがもたらした訪問である。
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スワイリエンは全く観光客など来る場所ではない。
よって、快適なホテルなどある筈もない。
あるのは、私が通称「ヤモリホテル」と名づけた、部屋の中をやもりくんがちょろちょろ走り回るホテルである。
昨夜、フロアの踊り場に置かれたソファーで、日本から持ってきたつまみとビールで、宴会をやっていた。すると、すぐ近くの部屋から日本人らしき人が出てきて、声をかけた。
「日本人ですか?」
もしかすると、我々の大声で寝られなかったんじゃなかなぁ。。と懸念しながらも、この田舎町で同胞に会えたならば、やはり嬉しいもの。
「一杯いかがですか?」と勧めて輪に加わっていただいたのだった。
ホテルの部屋はS氏の奥さんが4ヶ月滞在しているという事だった。S氏は退職後その特殊技術をかわれてカンボジアの不発弾処理をしている。もう2年もこちらにいるのだという。
そして今朝、朝の早いカンボジアでは、いつも7時には現場に向かうところを、我々のために時間を割いてくださったというわけだ。
その場所は、S氏が地道に整理した弾薬と地雷が並んでいる。
普段は処理後打ち捨てられているものが、ここではショーケースに並べられている。
S氏はその種類や性能について、詳しく解説してくださった。
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美術品と呼ばれるものや、歴史的文物だけが、印象的な展示になるのではない。展示を良いものにするのは、まず第一にキュレーター(ここではS氏)の情熱である。そして、それを人に伝わる言葉で解説してもらう事である。
観光開発が進み、どんどん外国人がやってくるようになったカンボジア。しかし、それは国のごく一部のことで、実際には多くの人々が長かった内戦や、それ以前のベトナム戦争の傷跡にさえ悩まされている。
報道は、世界で爆弾が爆発している事を報道する。
けれど、実はその後の回復努力こそ伝えていく事が必要なのだろう。S氏個人の努力による展示はそれを理解させてくれた。
地雷は敷設するのに一個百円。
それを除去するのに一万円の費用がかかるといわれる。