縁あってプリンスホテルの「布施あきらディナーショー」へいってきた。
彼のヒット曲というと「シクラメンの香り」「積み木の部屋」というところだろう。私にはちょうど中学頃にギターで弾いていた歌謡曲のレパートリーの一部である。しかし、今の30代にさえも、いまやちっとも有名ではないらしい。
え?57歳! 遠目にはとてもそう見えません。
離婚したオリビア・ハッセーとの間に生まれた息子は22歳。
今年で養育費おわりだそうな(笑)
今年デビュー40周年。
「ヒット曲は最初の十年にしかありません。(笑:会場)」
「車にたとえるなら、はじめの十年を猛スピードで走ってきて、あと三十年を惰性で走っている感じです(爆:会場)」
自虐的にそういうけれど、彼の声は57歳を迎えたとはとても思えないものだった。ちゃんとボイス・トレーニングを怠っていないだろうことを感じさせた。あるいは、「12月は17回ステージやりました」というステージが力を与えてくれているのだろうか。
往年のヒット曲メドレーではステージから降りてきて、私のテーブルのすぐ後にも立った。たくさんの女性達がわざわざ席を立って嬉々として握手をせがむ。花束を渡し、ベーゼをお願いする人も。
そんな少しもみくちゃの状況でも、彼は、ぜったいマイクをはずさなかった。かならず歌だけはマイクにのせていた。自分は歌のプロなのだ、という意識がそこに感じられた。
強い強いピンスポットの逆光の中で、彼の顔がふと目に入った。
それは、そのはりのある声と遠目の印象とはちがう、はっとさせられるような年月が張り付いていた。
往年の有名歌手が、こういうホテルのディナー・ショーで「営業活動」をする事に、私は少し先入観を持っていたかもしれない。少し恥ずかしいような気がしていたと思う。
人にもよるのだろうけれど、彼の場合はそれを丁寧にこなしていた。1時間半ばかりのステージを上手にまとめ上げていた。彼が自虐的に言うように「惰性」なんかではないように思われた。
デビュー当時はカンツォーネから始まったという。
最後にはアンドレア・ボチェッリの「静かな夜の海」を日本語詩でうたったりした。新曲を歌う時には特に嬉しそうに見えた。
どんな仕事でも、良いときだけではない。
上り調子で行き続けられはしない。
スターと呼ばれる人たちであれば、それはよくわかっていると思う。生き方が問われるのは、その峠を過ぎてからである。
また、こうもいえるだろう。
一度花が咲き、それがだんだんしぼんでいっても、風情は失われたわけではない。季節はめぐってきて、どんな違った花が咲くやも知れぬではないか。
もしも、再び咲く事がなかったとしても、最後の最後まで精進して、投げやりにならずに続けていく人には、「徳」と呼びたいものが備わってくる。これは往年の有名歌手に対する「憐れみ」なんかではなく、間違いなく「尊敬」です。