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止利仏師と運慶、それぞれの四天王
2004-10-31
今回、興福寺国宝展に出展されたものの多くは、鎌倉時代の名品であった。
昨年、法隆寺に興味を持っていた時に、少し見てまわった飛鳥・奈良時代の像達と、明らかに雰囲気が異なっていたのに気がつき、おもしろかった。
飛鳥・奈良時代とは7世紀頃。
今回の鎌倉時代初期の彫刻群は12世紀末。
両者には五百年近い年代差があるが、どちらが優れているという事ではない。ただ、確実に両者には、それぞれの時代の個性があるという事だ。
法隆寺に納められている木彫群に代表される奈良・白鳳時代の作品は、どちらかといえば、穏やかな表情をもっている。渡来人、止利仏師とその影響下にある名品達には、金堂内の四天王でさえも、落ち着きと威厳を感じさせる。
一方、鎌倉期のものは、僧の像でさえも、明らかな気迫を感じさせるつくりである。特に、四天王においては、法隆寺の「威厳」とは、全く違うアプローチで表現されている。威厳というより「憤怒」の表情は、怖いぐらいである。
それは、運慶一派の特徴なのかもしれないが、私には鎌倉という時代が生み出した個性に見えた。
しかし、両者に共通して感じられるものも、みつけられた。
法隆寺の止利式の四天王の足元にも、興福寺の運慶式の四天王の足元にも、踏みつけられている邪鬼がいる。
この、邪鬼たちのユーモラスな表情は、共通した時代を超えた味がある。
これこそが、人間の煩悩。どんな時代になっても人間がある限り、その心の中に必ずいる、俗な部分の象徴なのではないだろうか。
★展覧会、第三展示室奥にあった、ふんどしをした邪鬼が灯篭を頭に載せている国宝認定木彫は、特に個性豊かである。康弁(運慶の第三子)作。
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