ノルウェー、北極圏。
ハシュタからマーランゲンのコテージ風ホテルへ向かう一日。
午前中入り組んだフィヨルドを走り、昼食はナルヴィクという港町である。ここは以前一度来たことがある。2008年1月29日スウェーデンのキールナから列車でのこの町へ着いたのだった。
※その日の日記は下記でお読みください。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20080129その時はすぐに移動してしまったので、キールナから採掘された鉄鉱石の出荷のための港町という程度のイメージでいたが、今回再訪するので調べてみると、第二次大戦初期に連合国とドイツの間で争奪戦があった事を知った。
景色を楽しむために停車した、フィヨルドの向こうにナルヴィックの街が見える見晴らし台にも、写真下のような記念碑が置かれていた。
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1940年4月9日の夜、悪天候の中、国籍が判然としない艦船がナルヴィックに接近。それがドイツ軍だ分かった時にはもう手遅れで、ノルウェーの船が二隻沈められ282人が亡くなった。
ドイツ軍は電撃的にノルウェーの長い海岸線に上陸。防衛軍を駆逐し、ナルヴィックも占領された。ノルウェーは当時中立を表明しようとしていたので、断固とした応戦ができなかったという事情もある。
連合国側も黙ってはいない。4月10日には英国艦隊がやってくる。と、ドイツ側は艦船の乗組員を上陸させて陸兵に編入し、制海権がイギリス軍にわたった後もナルヴィックは引き続きドイツ軍が占領していた。
5月12〜13日にかけ、イギリス軍はドイツ軍支配下のナルヴィックを爆撃。ノルウェー人市民6人も巻き添えとなる。フランス軍は外人部隊を上陸させ、ポーランド軍、ノルウェーの防衛軍と共にナルヴィックのドイツ軍をじりじり追いつめていった。
5月28日にドイツ軍はナルヴィックから撤退し、連合国軍が奪還。戦闘としての勝利は目前だ。
しかし、6月10日、連合国軍司令部から「ノルウェーから撤退せよ」という命令が下る。ドイツ軍によって大陸の町々が占領されていく戦局になり、ノルウェーを守るために軍を投入する余裕はなくなってしまったのである。
戦闘に勝ちながら、故郷の街をむざむざドイツ軍にあけわたさなければならなくなったノルウェー軍の人々の無念はいかばかりであっただろう。
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この日の夜、マーランゲンでの年越しオーロラウォッチングの写真はこちらからご覧ください。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/myalbum/photo.php?lid=2139&cid=14