
《手造の旅》イタリア三都市、三日目。フィレンツェの観光で、あまり行かないメディチ家礼拝堂を訪ねる。
直接お願いした達人ガイドさんのお話が実に興味深かった。そのお話と、1992年発刊の図録本「メディチ家の華、サン・ロレンツォ聖堂」磯崎新+篠山記信 建築行脚7 を読み直してのデーターより、ミケランジェロの気持を推察してみる。
**
ミケランジェロはこの礼拝堂の基本デザインを、1521年の4月には決定していたようである。時のローマ法王はメディチ家出身のレオ十世(この年の年末に崩御するが、一年置いてまたメディチの法皇クレメンス七世が即位する)。
ミケランジェロは十三歳の年に、いわゆるロレンツォ豪華王に才能を認められ、メディチ家にひきとられた。ロレンツォの子供達と同じように教育を授けられ、少年時代の五年間を過ごしたのである。
ロレンツォの次男ジョバンニはミケランジェロと同い年。彼が法皇レオ十世となっても、会えば幼馴染であった事にかわりはない。ミケランジェロがメディチ家礼拝堂のデザインを任されたのは当然の帰結のようにも思える。
**
礼拝堂に葬られている四人は
�.譽�十世の四つ下の弟ジュリアーノ。当然ミケランジェロもよく知っていたに違いない。
�▲譽�十世の兄の子供ロレンツォ。彼が生まれた年にミケランジェロはフィレンツェを旅立っているが、父のピエロは幼馴染。
��レオ十世の叔父、ジュリアーノ。1478年に大聖堂で暗殺された伝説の男前。
�す覯擴Ε蹈譽鵐張�。レオ十世の父。ミケランジェロにとって大事な恩人である。
ミケランジェロは�´△凌擁�の墓を向かい合わせに配置し、その視線をひとつの場所に集めた。そこにはロレンツォ豪華王とその弟ジュリアーノの墓があり、心をこめた聖母子像を制作するつもりでいたのである。
現在、その視線の先にはそっけない白い壁があり、弟子達がつくったコズマとダミアーノの像にはさまれ、未完の「メディチの聖母子」がぽつんと置かれている。