リブリャーナの朝は素晴らしいお天気になった。陽射しはきついが耐え難いほどではない。98年以来の訪問となる。
市内コングレス広場でバスを降り歩き出す。
大学の建物が目をひく。この建物のあたりまでが昔ローマ人の住んだ城壁となっていた。
ローマ時代にはすでに「エモナ」と呼ばれたローマ人の駐屯地があったことが発掘から確認される。ローマ人は中世の街が作られている山とリブリャーナ川の間の土地を利用しなかった。川を越えた平地に四角く区画整理した場所を壁で囲ったのである。この「エモナ」という名前は実は川向こうの旧市街靴屋橋から北の古い部分にあった古代の町の呼び名からとられたと推察されている。
古い町を征服して自分のものにするのではなく、新たに新しい自分達流の町を作り上げたのがローマ人らしいところだ。
しかし、5世紀に西ローマ崩壊するとローマ人居住区は放棄され、キリスト教化されていた町も荒らされたと考えられる。その後作り始められた中世の町はローマ駐屯地東側の壁を西側の壁として利用した。つまり、東にある山と川を利用して築いたというわけだ。現在の旧市街の成り立ちはそういった形ではじまった。
旧市街は三つの地区に分けられる。現在の中心である市庁舎前や大聖堂のある地区は上級市民が住む一角であった。職人などの市民は靴屋橋(=肉屋の橋)から南の部分となり、その境界線には門があった。ここを超えると道は急に狭くなる。たぶん馬車が行き交うことも少なかったせいであろう。三つ目は川を越えた平地で聖職者や外国人支配層が住んでいた。
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現在、リブリャナのシンボルとなっている3本橋。ちょっとこの写真からは3本見えませんが(笑)。